、波止場の全体をひっくり返すだけの力がありました。
 その群衆の間を、隼のようにくぐり抜けて走る笠無しの創《きず》の男――それは同時に西浜御殿の塀の下にいた同じような伊勢参りのいでたちが、笠をかなぐり捨てて、形の如く十手を取り出して立ちふさがると、また一方、海岸にいた巡礼六部姿のやからまでが皆、懐中から十手を取って、その仮装をかなぐり捨てたのは、キンキンと音のする捕手の腕利きに違いない。同時にまた、いつのまにか、火消、纏持《まといもち》が、すべての非常道具を持ち出して、町角辻々を固めてしまう。
 ここで全く右の小柄の男を袋の鼠にして、この築地海岸一帯を場面としての大捕物がはじまることとなる。
 群衆の沸騰と興味は思いやるばかりです。相当の距離に立ちのいて、喧々囂々《けんけんごうごう》の弥次を飛ばすところを聞いていると、
「ありゃ、味鋺《あじま》の子鉄《こてつ》ですぜ」
「ああ、子鉄もいよいよ年貫の納め時か」
「こう囲まれちゃ、もう仕方がおまへんな――こうなると子鉄も、哀れなもんやなあ」
「だが、子鉄は腕が利いとりますからな、お手先の旦那方も、只じゃあ、あの鼠は捕れませんや」
「ごらん、はじめに子鉄を抑えた旦那が、ああして苦しんでおいでなさる、はっと飛びかかった時に、子鉄の右の臂《ひじ》であばらへあてられたんです」
「子鉄も子鉄だが、あんなのにかかっちゃ旦那方もつらい」
 子鉄、子鉄と呼ぶ、あの男が子鉄というものであることは、土地ッ子の証明によって、もう間違いのないところだが、子鉄の何ものであるかを説明している場合でないと見え、その性質は旅の人には分らない。
 無論、お銀様にもわからない。

         十三

 これを知らないもののために、一応その素姓《すじょう》を物語ってみると、ここに子鉄と呼ばれている当人は、有名なる侠客、会津の小鉄でないことは勿論《もちろん》だが、さりとて、会津の小鉄を向うに廻しても名前負けのする男ではなかったのです。
 生れは城外、味鋺村《あじまむら》の者で、その名は鉄五郎――父も鉄五郎といったから、そこで子鉄が通称となっている。
 名古屋城外で窃盗《せっとう》を働いて、敲《たた》きの上、領内を追われたのを皮切りとして、捕まってまた敲きの上に追放――その間に同類をこしらえ、ある時は一人、ある時は同類と、諸方を荒し廻っているうちに、好んで
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