の謂《いわ》れが刻んである、依二[#「二」は返り点]于亡父成瀬隼人正藤原正成遺命一[#「一」は返り点]而正房所二[#「二」は返り点]営建一[#「一」は返り点]也、并寄二[#「二」は返り点]五十畝之田地於太子堂一[#「一」は返り点]以為二[#「二」は返り点]膏油之資一[#「一」は返り点]、と読みますかな」
「その通り、燈明料としては須賀の浦の太子堂へ田地を御寄附になったが、今はそれが神戸町《ごうどまち》の宝勝院の方へ引移されている」
こんな会話を交わしながら、古碑でも探る気持で、燈台の石垣を撫でまわしているのが、この際、お銀様の耳障《みみざわ》りになりました。
桑名戻りの船が着いたとあってみれば、今も言う通り、乗込みを争うわけでもなく、到着を待ちわびる人でなくても、下船して来る旅人の上陸ぶりに好奇の目を向けて見るのが通常の人情であるのに、このやからは一向その方に頓着なしに、燈籠のある部分を撫でてみては頻《しき》りにその故事来歴なんぞを説明していることがキザだと、お銀様のカンにさわったのでしょう。その途端のこと、
「あ、お父《とっ》さん!」
と小さい尼が叫びました。狂喜の声のうちにも高い叫びを慎《つつし》んだもののようですが、その声でお銀様も改めて人混みの中を見渡したけれども、急にそれらしいものを認めることができませんでした。
何とならば、唯一の目標とするのは、その顔面の大きな創《きず》ではありといえ、それほどの創を持つ人が、自慢で見せて歩くとも思われない、よし自慢にすべき向う創であっても、そこは道中のこと、笠もあれば、頭巾もあろうというもの、どれをそれと小さな尼が呼んだのか、お銀様には分りませんでしたが、心走りに走り出した小さな尼が、
「お父さん――」
ついに一人の男の人をこの子がとらえてしまいました。見れば、なるほど、小柄で、そうして背が低いには違いないが、その身体《からだ》は桐油《とうゆ》の合羽《かっぱ》でキリリと包んでいるし、質素な竹の笠をかぶり、尋常な足ごしらえをしているものですから、お銀様に先手《せんて》の打てようはずがありませんでした。
しかし、この幼尼からとらえられた時に、笠と合羽の主は、ハッと物に打たれたように向き直って見た瞬間、お銀様も、確かに、その人相を見てとりました。厳しい顔であると思いました。厳しいというのは、その尋常な田舎老爺《いな
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