ここをとぶらい来るべき段取りであったかも知れません。
来て見れば、名所絵の示す通りの七里の渡し、寝覚の里――
神戸《ごうど》の通りを真直ぐに左に海中へ突出した東御殿、右は奉行屋敷へ続く西御殿、石をもって掘割のように築き成した波止場伝い、その間にもや[#「もや」に傍点]っている異種異様の船々、往来《ゆきき》の荷船、物売り船――本船は遠く帆をあげてこちらへ着こうとしている、海岸波止場一帯の賑《にぎ》わい、ことに何物よりも、七里の浜そのものを表示するあの大鳥居と高燈籠。
この大鳥居は、熱田神宮へ海からする一の鳥居であるか、或いはまた特に海を祭る神への供えか、それはお銀様にもちょっとわからないが、あの高燈籠こそは、寛永の昔|成瀬隼人正《なるせはやとのしょう》が父の遺命によって建立の永代「浜の常夜燈」。滄海《そうかい》のあなたに出船入船のすべてにとって、闇夜の指針となるべき功徳《くどく》。
この大鳥居と、あの高燈籠、海岸線を引いてこの二つを描きさえすれば、誰が見ても七里の渡船場――寝覚の里になってしまう。
お銀様は故人の軒下にでもたたずむような、何かしら懐かしい心でその高燈籠の下に立って、渡頭と、そうして海を眺める――
海の彼方《かなた》は伊勢の国、波の末にかすかにかかる朝熊《あさま》ヶ岳《だけ》。
十
東海道を上るほどの人で、「伊勢の国」に有終の関係を持たぬ者は極めて少数である。
道中は、委細道中気分で我を忘れてふざけきっていた旅人が、七里の渡しに来て、はじめて本来のエルサレム「伊勢の国」を感得する。但しこのエルサレムは、巡礼者の心をして厳粛清冷なる神気を感ぜしむる先に、華やかにして豊かなる伊勢情調が、人を魅殺心酔せしめることを常とする。そうして七里の渡しの岸頭から、伊勢の国をながむる人の心は、間《あい》の山《やま》の賑やかな駅路と、古市《ふるいち》の明るい燈《ともし》に躍るのである。
神を尊敬する日本人には、神を楽しむという裏面がある。清麗にして快活を好む日本人は、大神の存するところを、厳粛にして深刻なる修道の根原地としたがらないで、その祭りの庭を賑やかにし、その風情に遊興の色を加えることを忘れない。伊勢へ行くということは、日本人にとっては罪の懺悔に行くのでもない、道の修練に行くのでもない、一種の包容ゆたかなる遊楽の気分を持って行く
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