憎いじゃないか」
「憎い、憎い、そんな奴は憎い、拙者が行って取戻して上げましょうか」
「遠いよ」
「遠いったって、どこです」
「飛騨《ひだ》の高山だよ」
「飛騨の高山……そいつぁ、ちっと困りましたね、行って行けないことはないが、行って来る間に、おばさんが凍え死んじゃつまりませんからね」
「誰も行っておくれと頼みゃしない、その親切があるなら、もっと近いところにあるじゃないか」
「近いところって、ドコです、近いところにゃ古着屋はありませんぜ、おばさんの着る着物を都合するような店は、当今の白骨にはございませんよ」
「ないことがあるものか」
「ありませんよ」
「あるよ、あるからそこへ行って工面《くめん》しておいで」
「弱りましたねえ、どこを探したら、おばさんに着せる着物があるんですか」
「お浜さんのところへ行って借りておいでよ、あの人は、ほら、幾枚も幾枚も、畳みきれないほど持っていたじゃないか」
「えッ!」
 泣きじゃくりながら応対していたピグミーは、この時、しゃくりの止まるほどの声で、
「あれはいけません」
「どうして」
「何枚あっても、ありゃみんな血がついていますから、一枚だって着られるのはありませんよ」

         七

 仰向けに釣台の上に裸で寝かされているイヤなおばさんは、別段に寒いとも言わないのに、ピグミーがしきりに節介《せっかい》を焼きたがる。
「それじゃ、どうしても飛騨の高山へ行って、あの小紋を取戻して来るよりほかはありません、僕が行って来ます」
「よけいなことをおしでない、あの着物はあの子に着せておいてやります、そうして、わたしのあとつぎにするつもりだよ」
「え、お雪ちゃんをおばさんの後嗣《あとつぎ》にですか」
「そうだとも、いまに見ていてごらん、あの子を立派な男たらしにしてみせてやるから」
「えっ、あのお雪ちゃんを、おばさんのような助平にしようというのですか」
 ピグミーが飛び上るのを、
「気をつけて口をお利《き》き、出放題を言うと承知しないよ」
「畏《かしこ》まりました、それでは高山へ行くのは見合せにするとしましてもですね、現在、そうして裸じゃいられませんね。といって、着物の工面はなし……ああ、いいことがある、あんまりいいことでもないけれど、背に腹は換えられませんや、こいつをお召しなさっちゃどうです、当座の凌《しの》ぎに、この弁信のやつを引っか
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