ました。でも性癖はやむを得ないもので、絶えずニコニコと嬉しそうに、クドクドととめどもないことを口走り、そうして植込から、泉水の岸から、藤棚の下、燈籠《とうろう》のまわり……をグルグルと廻っています。
 その新お代官の服装を見ると、これはまた思いきやでしょう。今晩の婦人たちは、女のくせにたしなみがない、みんなだらしのない寝まき姿で、飛んだりはねたりしているこの深夜に、さすがこの新お代官だけは、きっちりと武装をしているのであります。武装といっても、まさか鎧兜をつけているわけではないが、近頃はやるダンブクロというのを穿《は》いて、陣羽織をつけていることだけは確かです。
 してみれば、この新お代官、昼のうち農兵の調練を検閲に行ったということだから、あのまま深夜のお帰りで、まだ衣帯を解く遑《いとま》もあらせられず、家庭に於てまたこの調練だ――ということも、ほぼ想像がつくのであります。
 果して庭を、どうどうめぐりすること三べん、またも以前の戸口まで舞い戻って来て、
「お蘭さん――」
 だが、今度は意外な手答えのあるのに驚かされてしまいました。
「誰だい」
と言って戸の隙間からのぞき込もうとした新お代官は、それとは別の方面で意外な物の気《け》のするのを感じました。
 それは、その辺一帯の庭は芝生になって、そのさきは小砂利を洲浜形《すはまがた》とでもいったように敷いてあったのだが、その芝生の上に、夫婦《めおと》になって二本高く茂っている孟宗竹の下で、物影の動くのを認めたからです。
 甘いといったって、だらしがないといったって、そこは、新お代官をつとめるほどの身だから、甘い人には甘かろうし、だらしない場合にはだらしないだろうが、それが決して人格の全部ではない。辛《から》い時には辛酷以上に辛い、敏《さと》い時には狡猾《こうかつ》以上に敏いところはなければならないから、この物影がグッとこたえたものと見なければなりません。
「誰だ――」
 無論、返事はないのです。返事のないことがいよいよ許せないのは、内と外とは全く違ったもので、内の奴は返事のないほどこちらが下手《したで》に痛み入るほかはないが、この外の奴の返事のないのは――これは全くようしゃがならない、時節柄ではあり、現に先日の夜も、こういう奴があってこの屋敷を騒がし、宿直の宇津木と黒崎とに腕をさすらせたものである。
「誰だ、今そこへ動
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