ものじゃございませんよ、もし、わたしが帰らないと言えば、あなたはどうします」
「お帰り下さらねば、声をあげて人を呼びます、御主人に訴えます」
「それは駄目です、こうして私がここまで来ている以上は、人を呼べば、わたしよりもあなたの方が困りましょう、それに、今晩はたれもこっちの別邸にはいやしませんよ」
 兵馬は憮然《ぶぜん》として、この肉感的の女のおしの強いのに驚き、今まで出会ったもののうちに、こうまで図々しいのは初めてだと、呆《あき》れないわけにはゆきません。
 その間に、もう女はするすると入って来て、火鉢の向う側へだらしなく、立膝式に座を占めてしまいました。
「今晩も、明日の晩も、コレはやって来ませんよ」
といって、図々しい女は、右の手の親指を立てて兵馬に見せました。
 親指が来ようと来まいと、それは兵馬の知ったことではない。
「ねえ、宇津木様、ウチの親玉の女狩りにもたいてい呆《あき》れるじゃありませんか、きのう、市場でもってちょっと渋皮のむけた木地師の娘かなにかを見初《みそ》めてしまったんですとさ、そうして、草の根を分けて、やっとその子を掘り出してからというものは、今晩から母屋の方で一生懸命、口説落しにかかっているそうですよ。ですから、こちらなんぞは当分の間、御用なしさ。見限られたもんですね」
 しゃあしゃあとしてお蘭は、こんなことを兵馬に言いかけました。
「ねえ、兵馬さん、年をとると若いのがよくなるものと見えますね、いい年をしてウチの親玉なんぞは、後家たらし、女房たらしも飽きて、これからは若いところに当りをつけるんですとさ。ところで、若い方の心持はどんなものでしょう、大年増になってから若い男を好くようになるものかしら。昨日もこの町の穀屋のイヤなおばさんという人の噂《うわさ》が出ましてね、わたしはいやになっちまいましたね、後家さんになってから、家に置いた若いのをみんな撫斬りですってね。女もやっぱり年をとると、若い男を薬喰いにしたくなるものか知ら。してみると若い男たちは、また若い同士では食い足りないから、年上の水気たっぷりなのかなんかと、可愛がったり、可愛がられたりしてみたくなるものか知ら。宇津木様、あなたなんぞはどうですか、偽りのないところ、かけねのないところをお聞かせ下さいましな。若い者は若い者同士がいいか、それとも年増――お婆さん、イヤなおばさんみたようなもの
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