どちらも、その意外であったという心持は同じことで、ただ一方が怒気をふくんで難詰《なんきつ》の体《てい》なのと、一方が体裁をとりつくろうことに、あわてまいとしている心組みだけが違うらしい。
「どうしてこんなところへ来た」
「それは、あなたこそじゃありませんか」
 お絹は、やり返したつもりであるが、主膳は肯《き》かない。
「おれの来るのは勝手だが、こんなところは、お前の来るところじゃない」
「ずいぶん手前勝手ねえ、わたしが来て悪いところなら、あなただって、立寄れないはずじゃありませんか」
「理窟を言うな、いったい、何しに来たのだ」
「何しに来たっていいじゃありませんか、あなたこそ、何しにおいでになりました」
「おれは、気が向いたから来たのだ、お前はこんなところへ来るはずではなかった」
「わたしだって、気が向かない限りはございません……第一、あなたこそ、あれほど約束をなさっておきながら、どうして、異人館へおいでにならなかったのですか」
「うむ、それはな、都合によって途中、気が変ったまでだ」
「途中、気が変った方は、それでよろしうございましょうが、変られた方は、みじめ[#「みじめ」に傍点]じゃ
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