いうものに愛想をつかす。同情をもって介抱してくれた人の親切というものに、何事を措《お》いても感謝しなければならぬ、という念慮が動いてくるのも自然です。
 その自然と雁行《がんこう》して、この芸妓が、この暗いなかで気がついたのは、現に介抱してくれているこの人が、どうも以前に、面馴染《かおなじみ》のあった人、と思い出してきた瞬間、まだ前髪姿の武家出の少年であるということを知って、中房よりの道中の道連れの、親切か、無情かわからない少年のことでありました。
「もしや、あなた様は」
と言った時、兵馬がすかさず、
「どうだ、わかったか」
「わかりました」
「まあ、お前も無事でよかった」
「無事とおっしゃれば、無事には違いないかも知れませんが、こんな無事ではなんにもなりません」
「仏頂寺、丸山はあれからどうした」
「どうしたかって、それはお話になりません、あなたもお聞きにならない方がようござんしょう」
「うむ、あの両人《ふたり》のことだから」
「いいえ、あの御両人《おふたり》ばかり悪いのじゃありません、もっと悪い人があります」
「それは誰だ」
「あの時に、どなたか知りませんが、物臭太郎のお茶屋に、狸
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