勢がまた一変してしまいました。
「どう、ドウしたというだなあ、別に病気でも、怪我でもねえらしいに、わりゃ狂気したか」
 こう言って、馬子が必死にブラ下がったことによって、いったん竹の杖を地にまで落した覆面が、刀の柄に手をかける瞬間を遠慮してしまいました。
 食い下がられて、馬は二三度、轡面を強く左右に振ったが、そのまま速力をこめて前面への突進をはじめました。
「ああこん畜生、こん畜生、引っかけやがったな」
 無論、馬子は手綱に引きずられて、宙に振り廻されながら、綱に取りついて、走り行くのです。
 そのあとを茫然《ぼうぜん》として見送るかの如き竜之助。
 人を斬ろうとしたのか、馬を斬ろうとしたのか、馬と人ともろともに斬ろうとして、そのいずれをも斬りそこねたのか――蹄《ひづめ》の音はカツカツとして、やがて闇に消えてしまいました。

         五十

 けれども馬子の方では、どこまでも、馬が狂い出したと思っているでしょう。それがために、自分をこんなヒドイ目に逢わせやがる、こん畜生! と自分の馬を憎みながら、自分の馬に振り廻されて、馬場から町外《まちはず》れ、益田街道を南に、まっしぐら
前へ 次へ
全323ページ中159ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング