の英雄豪傑のした荒ごなしを補填《ほてん》して行って、人間の仕事に、不朽の光栄を残して行くようになっているのだ。幼稚な国の教育は、ただ前の英雄豪傑だけに箔《はく》をつけ、後の使命者の真価を教えない、だからもし日本人に向って、秀吉とは誰だと聞いたら、三尺の童子だって知っている、永徳と呼びかけてみて、日本人のうちでは、最も教養のある部に属する君たちが知らない、知らないことが恥にはならない、真実情けないことではないか」
白雲が痛快に罵倒《ばとう》するのを、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]は耳を傾けていて、
「そりゃ、君の言うことも一面の真理はある、なにも政治をしたり、軍《いくさ》をしたりする奴だけが英雄豪傑ではなかろうけれど、他の社会の仕事は、その道の人でなければわからない、わからないから、自然、人の口頭にも上らないのだ。それは必ず英雄豪傑が存在するに相違ない、不幸にして、その人たちは、全体を見渡せるだけの地点に立っていないから、全体にも見られないのだ」
「ところが美術というものは、誰にも見えるところに置かれ、誰にも見られるように出来ていながら、それを見る人が無いのだ、たとえば……」
二十二
たとえば……と言って白雲が膝を組み直した時に、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]が問いかけました、
「その通り、恥かしながら、我々も美術や絵画のことにかけては盲目なのだ、それは店頭にかけた絵草紙と、応挙の描いたもの――というような格段は別だが、大家の位附けになると、どれも同じように見えて、そのエラサ加減に甲乙をつけるだけの眼識は無い。それは一つは不幸にしてそういうことを学んでいる暇が無かったのだ。そこで、端的にここで、君について学びたいのは、日本一の画家――つまり、絵の方で古今独歩の名人というは、まず誰なのだね」
それを聞いて白雲は、心得たりというような見得で、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]の面《おもて》をながめ、
「素人《しろうと》は、そういうことを聞きたがる。子供が、義経と清正はどっちがキツイ、と言うような程度のものだ。日本一というものは、桃太郎の旗印のように、簡単明瞭にくっつけられるわけのものではないが、美術鑑識の入門としては、さもありそうな質問で、それを軽蔑するわけにはいかないのだ。また拙者もこれで、その道で衣食する職責上としても、素人の
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