のことばかりではなく、主膳はこのごろは何事にも、さっぱり、興味というものが持てないでいる。それは単に金が無いから、軍費が続かないから、それで面白くないというだけではなく、今は金があっても、興味が持てないものがあるのです。
 乾ききっていたついこのごろ――逆さに振っても、水も出なかったこのほど――銭さえあれば昔のように我儘《わがまま》にも遊べるし、綺麗に使いこなすことも知っている。銭が物言うことを最もよく知り抜いているだけに、お絹という女から、金が欲しい、金が欲しい、と当てつけられた時は、むらむらとして、押借り強盗でもなんでもいいから、銭の入る方法があれば何でもやる。お絹という女も、銭にさえありつく仕事なら、万引でも、美人局《つつもたせ》でもやりかねない女ではあるが、環境というものが、そうまでは進ましめないでいる鼻先へ、七兵衛という奴が、猫に鰹節を見せびらかすような、キザな真似《まね》をして見せたけれども、結局、かなりまとまった金をとって来て、自分たちに思うように使わせることになった。
 使わせるものなら使ってやれ――という気になったが、そこはお絹と違って、事実、銭を目の前へ突き出されてみると、使い捨てるのがおっくうだ。なんだか白々しくって、ちょっと手を出してみる気にならない。
 この銭を使って、昔やったような馬鹿遊びを繰返してみたところで何だ、さっぱり面白くないなあ、本来、遊びというやつに面白いものは一つとして無いじゃないか。
 そこへ行くと、あの女は、金があると、まるで、色気づいてしまって落着いてはいない。無い時は悄気《しょげ》返って小さくなっているが、いざ、いくらか身についたとなると、あのはしゃぎようは――そうして、勝負事に注ぎ込むんだ。買物なんぞはたかの知れたものだが、あの女は、相手かまわず勝負事に目がない。
 だが、やりたければ、やれ、やれ、ばくちでも、ちょぼ一[#「ちょぼ一」に傍点]でも、うんすん[#「うんすん」に傍点]でも、麻雀でも、なんでもいいから勝手にやれ、こちとらは、もうそんなことで慰められるには、甲羅《こうら》を経過ぎている。
 ばくちでも、ちょぼ一でも、焼けついていられるうちが花なのだ。七兵衛から捲きあげたあぶく[#「あぶく」に傍点]銭、いくらあるか知らないが、あの女の勝負事に使った日には、いくらあったって底無し穴へ投げ込むようなもので、遠から
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