のをこってりとあでやかにつくっている、それは芸妓《げいしゃ》だ。年も若いし、相当の売れっ妓《こ》になっている芸妓――兵馬は一時《いっとき》、それの姿に眼を奪われて、
「どうかなされたかな」
「やっと、ここまで逃げて来たんです、もう大丈夫」
「どこから?」
「清月楼から」
「清月楼というのは?」
「お前さん、飛騨の高山にいて、清月楼を知らないの?」
「知らない」
「ずいぶんボンクラね」
「うむ」
「ほら、中橋の向うに大きなお料理屋があるでしょう、あれが、清月楼といって、高山では第一等のお料理屋さんなんです」
「そうか」
「そうかじゃありません、高山にいて、清月さんを知らないようなボンクラでは、決して出世はできませんよ」
「うむ――そんなことは、どうでもいいが、お前は清月楼の芸妓なのだな」
「いいえ、清月さんの抱えではありません、これでも新前《しんまえ》の自前《じまえ》なのよ」
「なら、お前の家はどこだ、こんなところに女の身で、醜態を曝《さら》していては、自分も危ないし、家のものも心配するだろう」
「シュウタイって何でしょう、わたし、シュウタイなんていうものを曝しているか知ら、そんなものを持って来た覚えはないのよ」
「何でもよろしいから、早く家へ帰るようにしなさい」
「大きにお世話様……帰ろうと帰るまいと、こっちの勝手と言いたいがね、わたしだって酔興でこんなところに転がっているんじゃないのよ」
「これが酔興でなくて、何だ」
「いくら芸妓《げいしゃ》だって、お前さん、酔興で夜夜中《よるよなか》、こんなところに転がってる芸妓があるもんですか、これは言うに言われない切ないいりわけがあってのことよ、察して頂戴な」
「困ったな」
「全く困っちまったわ、どうすればいいんでしょう」
「いいから、早くお帰りなさい」
「どこへ帰るのです」
「家へお帰りなさい」
「家へ帰れるくらいなら、こんなところに転がっているものですか」
「では、その清月とやらへ帰ったらいいだろう」
「清月から逃げて帰ったんじゃありませんか」
「何か悪いことをしたのか」
「憚《はばか》りさま、悪いことなんぞして追い出されるようなわたしとは、わたしが違います、あのお代官の親爺《おやじ》に口説《くど》かれて、どうにもこうにもならないから、それで逃げ出して来たのを知らない?」

         六十三

「なに、お代官がど
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