は、ちょうど、この橋が五条の橋で、三条四条を控え、この川が鴨川そっくりの情趣を湛《たた》えていないではない。この城山つづきを東山一帯に見做《みな》すことも決して無理ではない。無論、京都の規模には及ばないが、その情趣の髣髴《ほうふつ》は無いではない。それに京都は天地こそ、やはり平安の気分はあるが、時に凄《すさ》まじい渦に巻かれていることを兵馬は見ているが、ここは、本場のような血なまぐさいことはないから、こうして歩いていても、途上に人間の首がころがっていたり、壮士が抜身を持って横行して来たりするような心配はない。
 ただ、気の毒なことは、過日の火事である。不幸中にも、代官邸以西まで火は届かなかったが、宮川通りから一の町、二の町、三の町、川西の方までも目抜きのところが焼かれてしまっている――兵馬としては、この城山の方、奥深く上って、高いところから、更に深夜、むしろ夜明け間近の高山を、もう一ぺん見直そうとしたのですが、火事場見舞を先にしてやろうと、中橋を渡りきって見ると、もうやがて焼跡の区域で、そこへ至る前に、再び足をとどめたのは、例の今の高札場の、柳の木のあるところです。
 そこまで兵馬がやって来た時に――無論、この高札場が、もう、一度前に一場出ていて、それが返し幕か、廻り舞台になっていて、今度はそこへ自分が一人だけ登場せしめられているということを、兵馬は知らないのです。ですから何気なく、その場面へ登場して来て見ると、その前路のまんなかに、自分よりは先に、もう一人の役者が登場していることに驚かされました。
 高札場を中にして、自分とは半町ほどの距離を置いて、大道のまんなかに、人が一人倒れて苦しがっていることが、兵馬には直ちに気取られてしまいました。
 そこで、心得て、踏みとどまり、その道のまんなかで苦しみうめいている者の何者であるか――無論、それは人間には違いないが、人間のいかなる種類に属しているもので、いかなる理由で、今頃あんな所にああしているのか、倒れているのは、事実あの人影一つだけで、他に連類は無いのか、なんぞということの視察には、かなり兵馬は抜け目がないのです。
 幸いにこの柳の木――これは、この前の場面に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百という役者が、充分カセに使った道具立てなのですが、ここにも兵馬のために有力な合方となってくれます。
 兵馬は、柳の蔭から透
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