飛騨の高山は、甲斐の甲府よりはいっそう山奥だとはいえ、一方より言えば、甲府よりはいっそう上方《かみがた》の都近いのです――来《きた》り遊ぶ人が、誰も飛騨の高山を※[#「けものへん+葛」、第3水準1−87−81]※[#「けものへん+僚のつくり、145−7]《かつりょう》の地というものはなく、これに「小京都」の名を与えて、温柔の気分を歌わぬものはありません。
森春濤は曾《かつ》てこういって「竹枝」をうたいました――
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楼々姉妹、去つて花を看《み》る
閙殺《だうさつ》す、紅裙《こうくん》六幅の霞
怪しまず、風姿の春さらに好きを
媚山明水小京華
暖は城墟《じやうきよ》に入つて春樹|香《かん》ばし
はしなく嗾《そそのか》し得たり少年の狂
遊塵一道、半ば空に漲《みなぎ》る
花は白し春風、桜の馬場
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飛騨の高山はこういう艶っぽいところであります。事実が、詩人の艶説だけのものがあるや否やは知らないが、少なくともこううたわるべき風趣情調を持っているところです。
こういうところへ、今時、こういう人間を放ち出すのが、よいことでしょうか。ただ、時が春風駘蕩《しゅんぷうたいとう》の時ではないが、ところはたしかに桜の馬場。
それと、この小都を震駭《しんがい》させた大火災のあとですから、人心は極度に緊縮されてはいるけれど、土地そのものが本来、そういった艶冶《えんや》の気分をそなえているものであれば、絆《きずな》を解かれて、ここへ放浪せしめられた遊魂はおどらざるを得ないでしょう。
はしなくも、桜の馬場の前を、この夜中に躍《おど》って過ぐる馬があります。この馬は、近在の山郷から材木を積んで来た馬ではありません。また火事のために臨時駄賃取りをかせぐために近村から出て来たものでもありません。その花やかに装い飾っているところを見れば、天正年間に飛騨の国司、姉小路宰相中将が築いた松倉古城のあとの、松倉大悲閣へ参詣しての帰り道でしょう。その証拠には美々しく装い飾った馬の背に、素敵に大きな馬を描いた絵馬《えま》がのせてあります。
四十九
今まで勢いよくはずんで来たこの馬が、馬場の手前まで来ると、急にすくんでしまったのが不思議。
「どう、あゆばねえか」
馬子は、手綱《たづな》をひっぱってみたが、馬は尻込みをするばかり……
「どう、あ
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