ませんでな」
「自分が住んでいて、いいか、悪いか、わからないくらいのところが、本当にいいところなんでしょう。全く悪いところはお話になりませんが、ああいいところだと思えば、きっとドコかに悪い影がさすものです。永年住んでいて、いいところか、悪いところか、わからないくらいのところは、本当にいいところにきまっていますねえ」
「そんなものかも知れませんが、まあいいところとしておきましょう」
「実はねえ、お爺《じい》さん、わたしもその白川郷というところへ行って、一生を暮らしてしまいたいと思っているのよ」
「そうですか」
「平家の公達《きんだち》も、そこに落ちて、居ついているくらいですから、わたしなんぞも、住めないはずはないと思います」
「それは住めば都と申しましてな、お天道様の照らすところ、草木の生えるところで、人間が住んで住めないという土地はございませんけれど、お嬢さん、買いかぶってはいけませんよ、平家の公達だって、白川郷が住みよいからそこへ来たわけではありません、それは花の都に栄耀《えいよう》栄華を極めているに越したことはございますまいけれど、居るには居られず、住むには住まわれないから、よんどころなく、こんな山奥の奥へ落ちて来たものでしょう、それを夢の里か、絵の国でもあるように、憧《あこが》れて、わざわざ住みにおいでなさろうなんぞというのは、お若いというものです。平家の公達は命がけでございました、ほかの世界には生きられないから、この白川郷へ来たものでござんすよ」
「それはわかっててよ、わたしたちだって、同じ心持ですわ、どこへ行っても安心して住めるところがないから、一生をその白川郷へ埋めてしまいたい、という真剣な心持がお爺さんにはわからないの?」
「ははあ、お若いに、どうして、そうまで突きつめておいでですね」
「何でもいいから、わたしたちは、誰もさまたげることのない世界へ住みたいのです、ほかに希望《のぞみ》もなにもありゃしません。白骨谷だって、人が来てあぶなくってなりませんもの。どうしても白川郷へ行きますよ、単にあこがれや、物好きの沙汰《さた》ではありません。お爺さん、後生ですから白川郷へ行く道を教えて下さいな」
四
「それは教えて上げない限りもございませんが、白川郷へ行く道は、並大抵の道ではありませんよ、まあ、あの白山をごらんなさい」
「はい」
「富士の雪は消える時がありましても、白山の雪は消えることがございません、あの高い峻《けわ》しいところを、ずっとなぞいに左の方をごらんなさい、滝が見えましょう」
「え、え」
お雪ちゃんは瞳《ひとみ》をこらして、老人の指さすところを見ると、なるほど、山の腰のあたり、山巒重畳《さんらんちょうじょう》するところに、一条の滝がかかってあるのを明らかに認めます。ここで見てあのくらいだから、傍へよったらどのくらいの大きさの滝だかわからないと思いました。
「あれが、加賀の白山の白水《はくすい》の滝でございます、有名な……」
「まあ、そうですか」
「その白山の白水の滝が落ちて流れて、この白川の流れになるのでございます」
「ずいぶん大きな滝ですこと、ここで見てさえあのくらいですから」
「高さが三百六十間ありまして……」
「まあ……」
「滝より上が白水谷《はくすいだに》、滝より下が大白川《おおしらかわ》、白山の神が白米をとぐために、水があんなに白くなると言われます。その上下を通じて白川の山々谷々の間にあるのが、俗にいう白川郷でして、一口に白川郷とは言いますが、あれで四十三カ村でございますよ」
そこで、お雪はそのうちの、どの村へという当てはないのでした。老人も、それをたしかめようとはしないが、
「で、あの白水の滝のあるところまでは、これからどのくらいありますか、あそこまで行ってみたいと思います」
「それはいけません」
「どうしてですか、道がないのですか」
「道はあります、道はありますけれども、女は行ってならないことになっておりますのでございますよ」
「それは、またどうしてでしょうか」
「あそこに千代《ちよ》ヶ坂《さか》というのがありましてな、八石平《はっこくだいら》からあちらは、女は忌《い》んで、通ってはならぬことになっているのを、千代という若い女の方が強《し》いて通りましたところ、翌日になると、その坂の木の枝に、女の五体がバラバラになって、かけられておりましたということで、それから、あれを千代ヶ坂と名附け、あの辺は決して女の方は近寄れないことになっております」
「まあ、それは本当ですか」
「それは古来の言い伝えでございますけれども、わしらが覚えてからも一つございました、ある坊さんが、あの温泉で眼を癒《なお》そうとしまして、尼さんを一人つれて参りましたが、そのせいでしたかどうでしたか、急に雨
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