屋敷とでもいうのでしょう――兵馬が連れられて来る背後を、ものの一丁ずつも離れ、たしかに三人のさむらいたちがつき従って来るのを認めました。
 御家来ではなし、これは代官から、従者とお目附をかねた附人《つけびと》たちだなと、兵馬は感づきました。
 川西の屋敷へ着いて見ると、そこに用人らしいのが、玄関に頭をつけて待っている。
 貴公子は、さっさと奥へ通って、自分の居間と覚しいところの一室に座を占め、兵馬を坐らせて、涼風を煽って、汗ばんだ肌を押しくつろぎ、
「そなた、もう食事は済みましたか。これから桜の馬場へ馬をせめに行こう――明日は午前に、そちに剣術を教えてもらい、午後には馬に乗り、夜分は双六……そちは双六を知らぬとな。では碁を打とう。ああ、よい友達を見出し得て、わたしはしあわせじゃ」
と言って、中啓を閉じて、ハタハタと刀架《かたなかけ》を叩いたのは、人を呼ぶためらしい。
「そなた、さしつかえる事なくば、この屋敷に来てたもらぬか。朝夕、わしと一緒にここに起臥《おきふし》してたもらぬか。いいや、代官に断わるまでもなく、そちがよいと言い、わしが望むと言えば、それで仔細はない」

         十九

 その晩、貴公子と兵馬とが碁を囲んでいるところへ、恐る恐る用人が、次の間から伺《うかが》いを立てました、
「御清興中恐れ入りますが、ちとお願いの儀がござりまして……」
「何事じゃ」
「まことに恐れ入りまする儀ではござりますが、お聞届けの儀をひらにお願い仕《つかまつ》りまするでございます」
「は、は、は、お願いの儀とか、お聞届けの儀とか言うて、その儀の本義を言わぬ先に、恐れ入ってばかりいてはわからない」
「実は、この家の主人が立戻って参りました儀で……」
「ナニ、この家の主人が戻って来たとな。それは不思議じゃ、この家の血統は死に絶えて、幽霊が出るなんぞというて、誰もすみてが無いというから、これほどの屋敷を惜しいものじゃ、そんなら、わしにくれと言うておいたのに、今になって主人が戻って来たとは奇怪な……」
 白石《しろ》を指頭にハサミながら、貴公子の挨拶が用人の頭の上を走ります。
「はッ、御不審|御尤《ごもっと》もでいらせられまする、実はその、当家の主人がかえって参りましたと申しましても、生きて戻ったわけではござりませぬ」
「ナニ、生きて戻ったのでなければ、死んで戻ったのか」
「は
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