だ、どうもしやしねえ」
群衆の後ろにあって、かく呼びかけつつ混乱をなだめんとする声は、まさしく宇治山田の米友の声であります。
五十
江戸の方面に於ては、道庵牽制運動のために、安直先生と、金茶金十郎とを特派するために、オール折助連が盛んな送別会を催して、その行を壮《さか》んにすることになりました。
会場は、湯島の千本屋《せんぼんや》。
当日の正客は、安直と、金十郎。
安直先生も、今日は、いつものマアちゃんとは違うぞという気位で、羽織、袴に威儀をただして、相生町《あいおいちょう》の碁所《ごどころ》へでも出かけるような装いに、逆薤《ぎゃくらっきょう》の面《かお》を振り立て、大気取りに気取って正面の席につきました。
相客の金茶金十郎は、大たぶさに浅黄服――押しも押されもせぬお国侍の粋を現わしたものです。それで、当日の幹事はプロ亀でありました。プロ亀は盛んにお太鼓を叩いて、安直の提灯《ちょうちん》を持ち、安直が武芸十八般にわたり、囲碁将棋の類《たぐい》まで通ぜざるところなく、当代、道庵の右に出でる者は、この安直を措《お》いてほかには無いということを、ことごとく紹介しました。
斯様《かよう》に讃められても安直は、ぎゃくらっきょう[#「ぎゃくらっきょう」に傍点]をうなだれて、あまり多くの口数を利《き》かずに控えて、あっぱれ折助連の代表だけの貫禄のあるところを見せましたが、金十郎は、おれも負けてはいないぞという気になって、二本差を二本ながら抜いてしまい、これを振り廻して、これが左青眼だとか、右八双だとかいって、型をつかって見せましたから、会衆がみんな大喜びで、
「なるほど、金十郎氏は強い、武術の型を心得ていることでは日本一だ、金十郎氏が、安直先生の傍へ控えていてくれるので、全く心強い」
そのうちに、無礼講となって、オール折助連の芸尽しです。
やがて、芸者が出て来て、皿小鉢を叩きはじめました。
その中でも、老妓の糸助に、皿八というものが、正客の安直と、金十郎の前へ現われ、皿八がドンブリを叩き、糸助が、すががきを弾いて、
「おきんちゃ金十郎、コレきんちゃ金十郎」
と皿八がうたいながら、コンコンカラカラコンコンカラカラと、丼《どんぶり》の音をさせたものだから、さっきからいい気持になっていた金十郎が嬉しくてたまらず、やにわに、すっぱだかになって踊り
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