させられたようなことはなかったか。
 しかし、物事はあんまり見くびるものではありません。米友といえども、多少は道庵よりお給金もいただいていることでもあろうし、今日まで何かにつけての稼《かせ》ぎ貯めというようなものを、本来、酒を飲むではなし、バクチを打つではなし、女に注ぎ込むという風聞を聞かない男だから、相当に貯め込んで、腹巻かなにかにおさめているに違いない。タカが熊の皮の一枚、高かろうとも、安かろうとも、はたで心配するほどに持扱いもしなかったろう。いくらで売りつけられて、いくらで買い取って、それが多少の買い得であったか、全然買いかぶりであったか、その辺のことは、あまり深くたずねないがよいと思う。ただともかく、こうして米友がかなり御機嫌よく車上の客となって、名古屋へ乗込んで行く光景を見れば、事の交渉は、双方の折合いで無事に解決したものと見てよろしい。
 ほどなく、米友は車力に頼んで、一袋の煎餅《せんべい》を買い求め、それを檻の中の子熊に与えることで、我を忘れるの境に入りました。
 そうして行くうちに、この子熊に対する愛着が、ようやく深くなってゆくことは是非もないらしい。
 木曾街道では、獣皮屋《けがわや》の店頭に飾ってあった大熊に見惚《みと》れて、そうして道庵を取逃してしまったことがある。
 この動物を見ているうちに、米友が次第次第に吸い込まれて、憐愍《れんびん》から愛着、愛着から同化、ついに自他の区別を忘却するまでに至るのは、一つは、この獣と関聯して、どうしても無二の愛友であったムク犬のことを、思い出さずにはいられないからです。
「ムクはいい犬だったなあ、いい犬だよ、あんないい犬は、天下に二つとはありゃあしねえ、今はどこにどうしていやがるか」
といって、思わず頭をあげて嘯《うそぶ》いたけれども、眼はやっぱり子熊から離れないのです。
「こいつは、ムクの子かも知れねえ」
 米友になじみつつ、煎餅をかじる子熊の姿を見ると、米友がたまらなくなりました。光るものが一筋、米友の眼尻から糸を引いて来るようです。
 売られて行くんだな、香具師《やし》のところへ……そう思うと、昔の自分たちのことが、身にツマされてきました。お君、ムクもろともに、自分たちは、やはり興行師の手にかかって苦労した覚えがある。あれは売られたんじゃない、救われたようなものだが、やっぱり苦い味はなめさせられた。こ
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