の本丸とは見ないで、奪われたわが屋敷あとを見るような気がして、いつか知らず取返さねばならぬ、時が来たらば、再びわが手に落ちて来る、というような予感にかられ通して来ました。でも、いくら夢に襲われても、女の身では仕方がありません、縁づいた先に子供は幾人あっても、それが同じように加藤を名乗ってはいても、いずれも血は薄い、この世には、清正公の血を引いた家筋で、お前とわたしより濃いのは無い、その二人が、一人は女で、頼みきった男のお前が病身――わたしのこの残念な気持を察しておくれなら、お前はどうしても丈夫にならなければなりませんよ――お前が丈夫になると共に、お前の血統を絶やしてはなりません。わたしの血ではもう薄いのです、お前のでなければなりません。お前は自分の身体をよくすると共に、どうしても、お前の子孫というものを持たねばならない責任を忘れてはなりませんよ。加藤を名乗るもの、清正公の系図を引くという家柄は多いけれど、お前より正しい者はありません。その正系のお前よりも、傍系の、あるかなきかの系図を言い立てた者が上席にいて、我は顔[#「我は顔」に傍点]をするのを、お前は口惜《くや》しいとは思いませんか。それを口惜しいと思うなら、お前は今いう通り、丈夫な人になって、お前の血統を絶やしてはなりません。たとえどんな不具《かたわ》でも、馬鹿でもよいから、お前の胤《たね》というものに加藤の家をつがせて、尾張名古屋の城を見返すように、この、わたしがついています」
十三
「久しぶりにお目にかかります、私は弁信でございます。どうぞ皆様、御心配下さいますな、これでも旅には慣れた身でございます、旅に慣れたと申しますよりは、生涯そのものを旅と致しておる身でございます、生れたところはいずことも存じませぬように、終るところのいずれなるやを、想像をだに許されていないわたしの身の上でございます――はい、甲州、有野村の藤原家を尋常に、お暇をいただいて出て参りました、御縁があればまた立帰って、御厄介になると申し残して出て参りました。お銀様のことでございますか。あのお方は泣いておいでになります、あれ以来、毎日泣きつづけておいでになります。あのお方のは、悲しくて泣くのではございませんよ。無論、嬉しくて泣くのではありません。どうして、泣くのです。どうして、今になって泣かねばならないのですか。火事の前
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