兜《おおかぶと》に、鎧《よろい》、陣羽織、題目の旗をさして片鎌鎗という道具立てが無いだけに、故実が一層はっきりして、古色が由緒の正しいことを語り、人相に誇張のないところ、これは清正在世の頃、侍臣手島新十郎が写した清正像にしっくりと合致する。
 その画像の前には具足櫃《ぐそくびつ》があって、それと釣合いを取って刀架《かたなかけ》がある。長押《なげし》には鎗《やり》がある。薙刀《なぎなた》がある。床の間から襖にそうて堆《うずたか》く本箱が並んでいる。
 そこで、再び歌を思うことに気分を転じようとつとめる途端、ふと何かの気配を感じて、縁に沿うた連子窓《れんじまど》を見ました。そこに何やらの虫が羽ばたきをしている。その虫の音ではない、別に廊下でミシリという音がしたから――
「誰じゃ」
 手にしかけた筆の軸を置いて咎《とが》めた夫人の声に、凜《りん》とした響きがある。
 同時に、ちらと長押の上を見やったところには、薙刀がある。
「誰じゃ、それへ見えたのは」
 圧《おさ》えて、しごくような咎めに遭って、のっぴきならぬ手答えがあった。
「え、深夜のところをお邪魔を致しまして、まことに相済みませんことでございます」
 いやに、しらちゃけた返事が、何ともいえないいやなすさまじさを与える。
「え、誰じゃ、何しに来ました」
 さすがの夫人も、最初の凜とした声の冴《さ》えを失って、一時は、度を失った狼狽《ろうばい》ぶりも見えたようです。
「御免下さいまし、御免下さいまし」
「おお、そちは曲者《くせもの》な、ちょっともその障子をあけることはなりませぬぞ」
「はい」
「無礼をすると許しませぬぞ、何ぞ用事があらば、それにて申してごらん」
「え、え、別に用事といって上った次第ではございませんが……またこの通り丁寧に御挨拶を申し上げてるんでございますから、決して御無礼なんぞを致すつもりもございません」
「深夜人の住居をおかす、それが無礼でなくて何であります」
「え、それは、その、憚《はばか》りながら、私共の商売だもんでございますから」
「あ、わかりました、そちは金銀が欲しいのだろう、金に困って、盗みに来たものだろう」
「え、左様なわけでもございません、それは時と場合によりましては、ずいぶん、お金が欲しくて、皆様のところへ頂戴に上ることもないではございませんが、今晩、このところへ参上致しましたのは、お
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