末にいけないことはこの上もない。
 その日も果して、勢いこんで、尚歯会主催の詩歌連俳の会に定刻前から乗込んで、放言を逞《たくま》しうしました。その一例を挙げてみると、何かにつけて頼山陽《らいさんよう》の話が出た時、
「山陽なんぞは甘《あめ》えものさ」
と口走ったのをきっかけに、騎虎の勢いで頼山陽をやっつけにかかり、
「山陽なんぞは甘えものさ。まあ、支那の本場は論外、近世ではおらが方の佐藤一斎だねえ。一斎の前へ出てごらん、山陽なんぞは後学のまた後学の丁稚《でっち》さ、品物でいえば錦と雑巾《ぞうきん》だね。世間というやつは得てして盲目《めくら》千人だ、山陽なんぞを有難がるのは、ボロッ買いみたようなもんだと、まあ言ったものさ……」
 この思いきった道庵の罵倒に、席上の山陽|贔屓《びいき》が納まらないとする。山陽論が席の話題になる――頃を見計らって、また道庵が、今度は山陽をホメ出すこと。あれは天才である、詩人を以て目すべきものではない、慷慨家であって、学者として見ては違う、その文章も、漢詩も、和臭の豊かなところが、すなわち山陽の山陽たる所以《ゆえん》であって、彼は漢詩の糟粕《そうはく》を嘗《な》めている男では無《ね》え、むしろ漢詩の形を仮りて日本を歌ったものだ、彼に於て、はじめて醇乎《じゅんこ》たる日本詩人を見るのだ、意気と、声調を以て日本を歌ったものに、古来、彼以上のものがあるか、なんぞと言い出したので、人々を呆気《あっけ》に取らせました。
 思う存分に、山陽を下げたり上げたりしてからに、
「まあ、そいったようなわけだが、人物としては山陽なんぞはごくお粗末なものさ、いわば一種のおっちょこちょいさ。わしも若い時分に、ちょいちょいあの男とは逢ったものだがね(註に曰《いわ》く、少々怪しいものだ)人物は、からっきし、おっちょこちょいで、大塩平八郎や、渡辺崋山あたりとも段違いさ。平八郎も、崋山も、みんな煙草をのみ合った仲間だがね(註、こいつも怪しい)大塩は何といったってお前、豪傑の面影はあるさ。崋山もお前、どこへ出したって士大夫の貫禄は確かなものだ。そこへ行くと山陽なんぞは、せいぜい足軽組の五人頭だね」
 その露骨さ加減に、また一座が白け渡ったとする。それを委細かまわず道庵が、古今の詩を論じ去り、論じ来《きた》って、星巌、湖山、春濤まではまあいいとして、
「君たちは、山陽なんぞを問
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