ことができるのだそうです。妻や娘を貸し借りすることはなんでもないことだそうです。ですから、土地の子供も、自分の父というものがわからないから、父の年頃の者をすべて父と呼ぶならわしになっており、親から見ると、子というものがわからないから、子の年頃の者はすべて子と呼んでいるのだそうです。それで、お母さんだけは自分の子がわかるわけですから、親子の本当の愛は、母というものだけにあるのではないでしょうか。そこで、母の権力が、父の権力より大きくなってくるのも自然でございましょう。

弁信さん――
諸国の人の集まる温泉などに来ていると、どうも、わたしたちの頭では想像に苦しむほどの異った風俗を、聞きもし、見もすることが多くございます。
……こんなことを書くのは、書いているうちにも、筆がけがれるように感じますから、それはよしましょう。
わたしたちは、白川の武陵桃源に向って分け上って行くのです。決して、畜生谷へ向って駈落をするのではございません。
え、え、それでも、もし、白川へ行くつもりで、その畜生谷へ落ち込んだらどうなさる。
道案内を知らない、あなた方が、見えない眼で、向う見ずの心に導かれて、どうしても、まっすぐに白川へ行けないで、あやまって畜生谷へ落ちこまないことを誰が保証しますか?
それは、やっぱり弁信さんの取越し苦労ですよ。行こうと思えば、同じ人間の住んでいるところですもの、行けないということがありますものか。
もしや、畜生谷に迷い込んだところで……それはたとえですよ、それはたとえですけれども、迷って畜生谷へ落ちても、そこの人たちは決して、人食い人種ではありますまい。かえって人情には極めて親切な人たちばかりだと聞きましたから、わたしたちを導いて、また元の道へ送り帰らせて下さるに違いありません。
畜生谷と言いましても、地獄ではございません。鬼が棲んでいるのでもございません。話だけに聞けば、わたしたちが身ぶるいするほどのいやな風儀の谷であっても、そこの人情には変りがないばかりか、世間の人情よりも一層濃いものがあって、どうかして間違って、そこへ一晩でも泊った人は、帰ることを忘れるほどの、もてなしを受けるのだそうです。
その昔から、悪いと知らないで現われて来た乱婚の風儀を別にしては、畜生谷は、白川と同じことに、土地も、人情も、美しいところだと聞いていますから、御安心ください。
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