た。
だが、わざわざこの深夜、水汲みにおいでになったのはどなた、それもお雪の気にかかりました。
今しも上って来る人は、頭に笠をいただいておりましたから、人柄はさっぱりわかりませんが、かなりたどたどしい足どりであります。桶に満たした水が、月にかがやいてさざ波を立てながら銀のように動いているのを見ると、お雪は風流な姿よと思いました。水たまらねば月も宿らずと、口ずさんでやりたいような気分になりました。
でも、その当人が、この宿に冬籠《ふゆごも》りをするうちの誰? ということは、笠がかくしていて判断の余地を与えません。
そのうちに、だらだら坂を上りつくして、右の水汲みは、疲れを休めるためにや、手桶を後生大事に下に置いて、ホッと一息ついている体《てい》です。
その時に、高欄の上から廂《ひさし》へかけて、カラカラと音を立てて、凍《い》てついた土に落ちたものがあります。
お雪はハッとしました。自分の手に持っていた数珠《じゅず》が、スルスルと自分の手首から抜け落ちて、カラカラと廂を走り、力余って、凍てついた大地をまたも、カラカラと走って、桶を置いて休んでいた人の足許まで、走って行ったことであります。
お雪ちゃんはハッとしました。ふだん、数珠なんぞを携えているわけではないが、その時は、無意識に、自分の手文庫の中に文鎮《ぶんちん》同様にして置捨てにしてあった数珠を、何かのハズミで、手首にかけて、今持って出ていたのだということを、数珠が走り出したので、はじめて気がつきました。
お雪はハッとしたでしょうが、それよりも一層驚かされたのは、足許に物の落された水汲みの主で、落ちたその物を注視するよりは、高欄を見上げることの方が先でした。
見上げるところの三階の亜字の高欄には、たしかに人が立っている。御承知の通りの隈なき月夜のことだから、それを見まごうはずはありません。
但し、その人影が一つであったか、二つであったか、一つ一つが重なっていたのだか、そうしてその人がいかなる人であったかは、わからなかったようです。ただ、天上に人ありという意外の驚異で、しばらく、ふり仰いで、高欄の上から目をはなすことができませんでした。
二人が深夜の楼上にこうしているところを、下から見られたのが、二人にとって幸か不幸かはわかりませんが――下なる人の正体をある程度まで見定めるには、これが上なる人――
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