がんりき」に傍点]の百蔵が、思いきった大きなあくび[#「あくび」に傍点]を一つしました。
 そのあくびで、二人の経綸《けいりん》が興をさまし、南条が苦々しい面《かお》に軽蔑を浮べて、こちらを向き直るところを、がんりき[#「がんりき」に傍点]がまた思いきって両手を差し上げて伸びを打ち、
「先生、そんな英雄豪傑のちんぷんかんぷんは、わっしどもにゃあわからねえ。下町の方へおともがしてえもんでございますね、そうして百花《もか》でもなんでもかまわねえから、名古屋女てえやつをひとつ、拝ませてやっていただきたいもんでございます」
 それを聞いて南条が、
「は、は、は、英雄豪傑は貴様にはお歯に合うまい、熱田のおかめか、堀川のモカといったところが分相応だろう」
「え、え、その通りでございます。何でもようござんすから、早くその名古屋女のお尻の太いところをひとつ、たっぷりと見せてやっていただきたいもんでございます」
「まあ、待っていろ、女はあとでイヤというほど見せてやるから、もう少し念入りに、あの金の鯱《しゃちほこ》を見て置け、百」
「金の鯱なんざあ、さっきから、さんざっぱら眺めているんでございます、いやによく光るなあ、と思って眺めているんでございます、つぶしにしてもたいしたもんだろう、と考えながらながめているんでございますが、いくらになったところで、こちとら[#「こちとら」に傍点]の懐ろにへえるんじゃねえとも考えているんでございます、いくら金であろうと、銀であろうと、眺めるだけじゃ、げんなりするだけで、身にも、皮にも、なりっこはありませんからなあ」
「は、は、は、弱音を吹いたな、がんりき[#「がんりき」に傍点]、実はお前をここまで引張って来たのは、我々が英雄豪傑の講釈をして聞かせるためではないのだ、お前に、あの金の鯱を拝ませてやりたいばっかりに連れて来たのだ」
「そりゃ、有難いようなもんでございますが、もう金の鯱も、このくらい拝ませられりゃあ満腹なんでござんすから、そのモカの方をひとつ、見せてやっていただきてえと、こう申し上げるんでございます」
「まだまだ、貴様、そのくらいでは、あの金の鯱が睨《にら》み足りない」
「このうえ睨んだ日には目が眩《くら》んじまいますぜ、あれあの通り、朝日がキラキラとキラつきはじめました、綺麗《きれい》には綺麗だけれど、あんなのは眼のためにはよくありません、
前へ 次へ
全257ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング