れはどうも」
 立っている田山に、まあお坐りなさいとも言わない。
 白雲も、ちょっとバツが悪い思いをしている。といって、なにも先方が別段傲慢な態度でこちらを冷淡に扱っているというわけでもないし、また質朴そのものが、挨拶の表示を十分円満にさせないというわけでもないし……そう重い身分の者ではなかろうが、一人はたしかに士分の者、一人もまたそれに準ずるもので、人夫や人足の類《たぐい》でないことはわかっているのに、いかにも捌《さば》けないところがあるようだ。こちらは磊落《らいらく》に出ているのに、先方は妙に警戒性が見え過ぎると感じました。
 はてな、自分では磊落のつもりでも、自分の風采というやつが、この珍客に鬼胎《きたい》を持たせたのだな。そうだろう、無理もないことだ。ただでさえ、あんまりものやさしくは出来ていない風采骨柄のところへ、月代《さかやき》も久しく当らず、この数日、湯につからないのを、鹿島の浦の海風で曝《さら》しにかけたのだから、初対面の人の警戒性を、かなりに刺戟することは無理もあるまい。人間並みの人に言い寄ろうには、ただ人間並みの戸籍を示してかからぬことには、この際、自分というものの、見かけほどには危険性を帯びている者でないということの証明にはならないと考えたのでしょう……白雲も、あれで郷《ごう》に入《い》ることに慣れているから、その辺は甚《はなは》だ鈍感ではなく、ぶっきらぼうに、お世辞ともつかず、自己釈明ともつかず言いました、
「測量は、どこからどこまでなさるのですか、地上を測って行くという仕事には、無限の面白味がありましょうね……拙者は足利の田山白雲という田舎絵師ですが」
と、彼は大抵の場合にするように、あけすけに自分の名を名乗ってしまいました。
 拙者は木挽町《こびきちょう》の狩野《かのう》でござるとか、文晁《ぶんちょう》の高弟で、崋山の友人で候とか、コケおどしを試むる必要はなく、大抵の場合、足利の田舎絵師田山白雲と、素性をブチまけてかかるのがこの人の習いであった。これは一つは、どう見ても画家と受取られない見てくれ[#「見てくれ」に傍点]。剣客と見られたり、脱走と見られたり、事毎に面倒がかかり易《やす》いために、まず絵師だといってしまえば、その種類の大部分が消滅するの便宜があるからだ。それでもなお、不審がるものには、遠慮なく紙と筆とを以て、お手のうちを眼前に
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