たのみならず、安政四年、門弟を集めて女芝居の一座を組織し、その初興行を若宮で催したのが縁となって、名古屋の女優界に一つの機運を産み出した上に、中村宗十郎の妻となって、彼を一代の名優に仕立てたのは、その内助か、内教かの功多きによるという。
 篠塚力寿が京から再び名古屋へ帰って来る。留守の間に自派の振わざるを見、阪東派の盛んなのを見て、いかなる感慨を懐《いだ》いたか、それはわからないが、力枝、大吉、力代といったような弟子たちを集めて、女芝居を組織したところを以て見れば、多少の義憤と、敵愾心《てきがいしん》を持っていたことは争われないと思われる。
 舞踊は西川流に併呑され、或いは合流されて行くうちに、この二人の花形がようやく老いゆきて、舞踊から女優方面に、進路を見つけようとした潮流はよくわかる。
 それと前後して、以上の三流とは全く別派の流れをなして来たものに、初代岡本美根太夫がある。
 もとは江戸の人で、新内を業としていたが、大阪で薩摩説教節を聞いて、これを新内と調和して新曲をはじめ出した。
 この岡本の女弟子たちによって源氏節なるものが生れんとして未《いま》だ生れず。
 そんなような空気から、名古屋の女流界にはかなり鬱勃《うつぼつ》たる創業の意気が溢《あふ》れていたものらしい。つまり、女流界の芸人で、現在に反感を持つもの、不平を抱くもの、新方面に発展の先例を見、或いは新例を開かんと企てるもの……とにもかくにも、女流興行界に一種の鬱勃たる野心がこもっている。この鬱勃たる野心にうまく火をつける人があれば、事は大きくなるにきまっている。
 その空気を見て取った誰かが、お角さんに伝えたものらしい。
 人に屈下せざる、とにもかくにも自ら祖をなさんとする意気に満ちた女流芸人が、名古屋の天地に存在していないということはない。ただ憂うるところは彼等を踊らせる舞台廻しがいないことだ。八天下は無天下になり易《やす》い。人才があまりあって、経営者がないことの恨み。あればこの際、これらの野心満々たる女流才人を打って一丸とし、この鬱勃たる興行の空気をよきに統制して導く興行者さえあれば、名古屋女流が、天下に向って気を吐き得ること疑いなし。
 その不足と、遺憾の点を見て取ったその道の通人が、江戸へ往復のついでに、当時、異彩を放って、未だ老いたりという年でもないのに、あたら引退しているお角さんに眼を
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