を屈請《くっしょう》して、施行と供養を催して、自他の良心を欺かんとしたあの唾棄すべき喜劇。滑稽とも、悲惨とも言い様のないほどに、厭悪《えんお》を感じているのは事実です。
祖先以来、積み蓄えた金銀財宝を七日の間、あらゆる人に施行してみたところで、それが何だ。
ことにあの気ちがいじみた、まん円い坊主が、力自慢をこれ見よがしに、あの木柱をかついで来て見せて、俗衆をあっといわせ、その図を外さず、わざと自分の握り拳かなにかを振りかざして、グッと自分の口中へ入れて見せてのしたり[#「したり」に傍点]顔。
虫酸《むしず》が走るではないか。父は手もなく、あの山師坊主に乗ぜられているのだ。わが藤原の家に起り来りつつある多年の矛盾、撞着、滑稽、紛糾、圧迫、争闘、それが膿瘡《のうそう》となり、癌腫《がんしゅ》となって、今日まで呪われて来た報いが、あんな坊主にわかってたまるものか。あの坊主の、あんなに見え透いたお芝居で、この悲喜劇の幕が切れるものなら、切ってごらん。
あの木柱は、あれは何です。
あれをかついで来た、あの気ちがい山師坊主の怪力とやらが、そんなに有難いものですか。
牛や馬が無いじゃあるまいし。
それを、仔細らしく、あの木柱へ筆太に書き立てたあの文句は何です。
そうして、仔細らしい文句を、人を食ったような、まじめなような、物々しい気取りで書き納めて、それを押立ててその下で、伊太夫はじめ一族が参列の施餓鬼か、施行か知らないが、その物々しさと、あの坊主の悪ふざけ。藤原の家の財宝を、わがもの顔にふりまいて、あまねく一切に慈悲善根を衒《てら》う憎々しさ。
それを、委細かしこまり上げて、いちいち、渇仰尊信して、命《めい》これ従うばかばかしさ。あんな間抜けのお芝居で、この宿業とやらが救われ、この亡ぼされた魂とやらが浮べたらお気の毒。
滑稽の沙汰《さた》だ。まさに百分の嘲笑に価すべき振舞だ。
その滑稽と、嘲笑の的となって残されているのがあの木柱ではないか。卒塔婆《そとば》とかなんとかいう人もある。自分の眼から見れば、慢心坊主という山師坊主が、わが藤原家を愚弄《ぐろう》に来たその記念として残されているものだ。
白々しい、おかしらしい、癪《しゃく》にさわる――
お銀様は、慢心和尚という坊主を快からず思っている。あの時の施行供養を、緞帳芝居《どんちょうしばい》も及ばない愚劇
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