《だいじ》にして育てるけれど、オットセイの親はなかなかあんなことはしないんだぜ。オットセイの親は、なかなかああはいかないんだからな」
「オットセイの親が、どうしたというのだ」
「オットセイの母親というのはね、番兵さん、自分たちの餌《えさ》をさがすために、三十里も遠くの海へ出るんだとさ、そうして帰って来ると、内海《うちうみ》に置いて行かれたオットセイの子が、お乳を飲みに寄って来るが、オットセイの子は、自分の母親がドレだかわからないものだから、どの母親にでも行ってかじりつくが、母親の方では、自分の子供だけにしかお乳をやらない、ほかの子供がかじりつくと突き放してしまう、だから、外海《そとうみ》へ餌を取りに出たオットセイの親を人間がつかまえると、その子は餓え死んでしまうのだって……だから今では、外海でオットセイを捕らせないことになっているんだって」
茂太郎は、マドロス仕込みであろうところの、オットセイの知識を物語りました。
牧場、牧舎の見廻りが一通り済んで、小舎《こや》へ帰って、二人水入らずの晩餐《ばんさん》の後、番兵さんは一個の曲物《まげもの》を、茂太郎の前に出して言う、
「茂坊、薬物《くすりもの》だから少しお食べ」
それは色の白い、ベタベタした透油《すきあぶら》のようなもの。飴《あめ》のようで飴ではない。あんまり見慣れないもので、第一、食べようからしてわからないから、遠慮をしていると番兵さんは、耳かきのような杓子《しゃくし》を取添えて、
「これは、チュガ公の母親がこしらえた白牛酪《はくぎゅうらく》だよ、薬物だから、少しお食べ」
すすめられるままに、その匙《さじ》のような杓子ですくい取って、少し食べてみたが、甘くも、辛くもない、薬物だというから、苦くもあるかというにそうでもない、妙に脂《あぶら》っこい、舌ざわりの和《やわ》らかな、口へ入れているうちに溶けてしまいそうなものだから、
「何だい、番兵さん、これは、味もなにも無いじゃないか」
「薬物だからね」
「何の薬になるの」
「何の薬ってお前、白牛酪なんてのが、滅多《めった》に口へ入るものじゃないよ」
と、そこで番兵さんが、茂太郎に、白牛酪の講釈をして聞かせました。
白牛酪は、この牧場の白牛に限ったものである。この牧場の白牛から搾《しぼ》り取った乳が、すなわち白牛酪となって、天下無二の薬品と称せられているのだ。
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