、人間がズッとわかっていれば、どこまで尊敬信用してもかまわないが、まだ大多数の人民なんていうやつが、さほどたいしたものじゃありませんからな、やっぱり政府は、力でグングン押していかなけりゃ駄目ですよ。御覧なさい、なんのかんのというけれども、水野越前や、井伊掃部頭《いいかもんのかみ》が押えていた時分は、徳川幕府も力がありましたけれど、昨今のように、アメリカも尊敬しなけりゃならん、ロシアも一目置いた方がいい、諸国の浪人者に対しても、そう強圧ばかり加えてもいかん、大藩の御機嫌を損ずることはなおさら……こう政府が八方四方尊敬ばかりしていた日には、国が立ち行きませんよ。服従なき自由とか、自由なき服従とか、服従と、自由を訓練なき国民に使い分けをさせようなんぞとは、氷水を煎《せん》じて飲ませようというようなものです。国民の服従だけでいいじゃありませんか、政府は治むべし、人民は服従すべし、それだけでたくさんですよ――もう少し一般が自覚というのをもって、他から治められずとも、自ら治むることを知ってきた時節は格別、今のところは薄っぺらな人気の煽動でどうでもなるんだから、尊敬だの自由だの言わん方がいい、権力の濫用より、民力の濫用の方が厄介千万です」
三
二人は議論を交わしながら、富浦も過ぎ、矢差《やさし》の浦《うら》も過ぎ、飯岡の町に来たから、多分この辺で下りるだろうと思うと、いつしかその町も通り過ぎてしまったから、行先の目的が全くわからなくなってしまいました。
しかし、これを裏へ出れば屏風《びょうぶ》ヶ浦《うら》となり、遠からずして犬吠《いぬぼう》ヶ岬《さき》があり、銚子の港がある。銚子の港の前面には、利根の長江が遮《さえぎ》っているから、まさかそれをよこぎるほどのことはあるまい。
犬吠に出でると、海岸の風物が、また全く九十九里とは別の趣《おもむき》になる――多分、ここを初めて見る田山白雲にとっては、その犬吠から、銚子に至る海岸の風物が、また一つの問題となるだろう。彼は外房の風景と比較して、犬吠の岩と、銚子の海とに向って相当の見識があり、議論もあるだろうと思われる。
それとは別に、これより先、その銚子の海の一部分、外に向ったところの、俗に黒灰浦《くろばいうら》というところに、極めて滑稽な事件が一つ出没しておりました。
滑稽な事件が出没するというのは、滑稽な
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