色物か、真打《しんうち》は――いずれ、聞いたことのない大看板が、イカサマでおどかすものに相違なかろうが、そのうちにもまた、存外の掘出し物が無いとは限らない――お角は掘出し物に、興味と、自信とを持っている。
 それは大看板を大看板として、大名題《おおなだい》を大名題として、大舞台で、大がかりな興行をやる分には、面《かお》と資本《もとで》さえあれば誰にもやれる芸当で、本当の興行師の腕とはいえない、誰も知らないものを、誰も知らないところから引抜いて来て、それを養成して、そうして付焼刃《つけやきば》ではないところの本値《ほんね》を見せて、あっといわせるところが、興行師の腕であり、自慢である、と心得ているお角――未《いま》だ知られざる名物を発見しようとする熱心と、炯眼《けいがん》とは、先天的といっていいかも知れない。
 だから、ここでも、講釈を聞きに行かないかとすすめられて、打てば響くように、その商売心をそそのかされたものですから、二言《にごん》ともなく、
「行きましょう、行ってみましょう、案内をして下さい」
 キリキリと帯をしめ直して、さて、考えたのは、若い衆を連れて行こうか、それとも一人で行こうか――ということであったが、若い衆は旅の疲れもあるから、ゆっくり寝かしておいてやれ、近いところだということだから、一人で行って見てやれ――という気になりました。

         九

 講釈場へ案内されて行って見ると、かなりの席で、かなりの入りがあります。
 大看板には「南洋軒|力水《りきすい》」と筆太《ふでぶと》にしるしてある。当時、江戸で有名な講釈師といわず、その下っぱにいたるまで、お角は名前を知っているし、また親しく会ってもいる。南洋軒力水なんていうのが、誰の社中の化け物か、そんなことを詮索《せんさく》に来たのではない。
 前座はどうだったか知れないが、幸いにしてお角の臨席した時は、かなり時間もたっていた時だから、真《しん》を打つ例の「南洋軒力水」が高座に現われて間もない時でありました。
「あれが南洋軒の太夫《たゆう》さんです」
 講釈の太夫さんもオカしいが、お角はいわゆる太夫さんの面《かお》よりも、場内の模様をズラリと見廻しました。
 席の建前《たてまえ》から、お客様といったようなものを一わたり見渡してから、改めてまた太夫さんの方を見直すと、これは浪人風の態度の男で、黒
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