調《くちょう》で、すらすらと口をついて出でました。
なぜか、お雪ちゃんはこの歌が好きです。それは歌の心が好きなのではなく、口当りがいいから、それで思わず繰返されるのかも知れない。そうでなければ、相聞《そうもん》の歌では、これがいちばん男性的であるというような意味で、良斎先生の愛誦《あいしょう》となっているところから、その口うつしが、思わず知らず、お雪ちゃんの口癖になっているのかも知れない。
万葉の歌は上代の歌人の――上代の歌人とのみいわず、すべての人類の血と肉との叫びであります。人生に、恋にいて恋を歌うほど苦しいものはなく、恋を知らずして、恋歌をうたうほど無邪気なものはありますまい。
その時、湯槽《ゆぶね》の方で高らかに笑う男の声がする――まもなく、トントンとかなり足踏みを荒く三階の梯子《はしご》を上る人の足音がする。もしやとお雪ちゃんは狼狽《ろうばい》しました。ここへ誰か訪ねて来るのではないか知ら。あの遠慮のない北原さんでも押しかけて来るのか知ら……それではと、あわただしく縫取りを押片づけて心構えをしていましたが、足音はそれだけで止んで、ここへ渡って来る人もありません。
来《きた》るべき人が来ないと思うと、淋しさはまさるものです。ことに、あれほど荒っぽく三階の梯子段を踏み鳴らしながら、上ったのか、下りたのか、それっきり立消えがしてしまったのでは、徒《いたず》らに人に気を持たせるばかりのものです。
いやなおばさんと、男妾《おとこめかけ》の浅吉とがいなくなってから後、この三階は、わたしたちで占領しているようなもの。上ったならば、当然、わたしたちを訪れる人であろうのに……立消えになってしまった。
お雪ちゃんは、また縫とりをとり上げる気にもならず、相聞の歌を繰返す気にもならず、手持無沙汰のかげんで、しばらく所在なくしていたが――その時、ゾッと寒気《さむけ》がしたものですから、急いで、ぬぎっぱなして置いた黄八丈の丹前を取って羽織りかけ、そうして、こたつ[#「こたつ」に傍点]のそばへずっと膝を進めて、からだをすぼめて、両手を差しこんで、ずっと向うのふすま[#「ふすま」に傍点]を見つめたままでいました。
この時、湯槽は急に賑《にぎ》わしくなって、高笑いと、無駄話の声までが、手に取るように響いて来ますけれども、お雪ちゃんはそこへ行ってみようという気にはなりません。
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