って、その火を睨《にら》んでいるお銀様の眼から、ハラハラと涙のほとばしるのを認めました。
 弁信は少しも昂奮してはおりません。膝を抱いて、うれわしげにうつむいてはいるが、決して泣いているのではありません。
 峠を過ぎれば、どうしても下り坂です。いかに大家でも、棟が落ちた以上は、下火になるばかりであります。おそらく朝になっても、余燼《よじん》の勢いは変るまいが、火の勢いとしては、目立たぬほどずつ衰勢に赴くのは争われません。
 おお、おお、鶏《とり》が啼《な》いている、何番鶏か知らん。
 はやりきった馬はまだ血気が下りきるまいが、鶏は平和だ。いかに業火《ごうか》のちまたでも、修羅の戦場でも、その間から鶏が聞え出せば占めたものだ。鶏の声は、暁と、平和のほかには響かない。
 しかるにこの二人はまだ、歩き出そうということを言いません。立ち上ろうとする気色《けしき》も見えません。お銀様がそれを言わなければ、弁信がそれを促さなければならないはずなのに。弁信が立てば、お銀様もいやとは言うまいに。二人とも、どちらが、どうということがありません。弁信は相変らずうつむいて、膝を抱いた上へ自分の首を埋めるばかりにうなだれ、お銀様は穴のあくほどに火の色を見つめているが、最初のあの瞬間にほとばしり出した涙も、今になっては、すっかり乾いてしまって、冷笑気分が豊かです。ただ夕陽のような火の色だけが、二人の坐像を、紅と黒とにかっきりと描き出していることは、以前と少しも変りません。
 しかし、本来ここに作りつけてあったわけではなく、尻から根が生えたわけでもありませんから、早晩は動き出さなければならぬ運命にあるものです。
 どちらが先ということなく身を起すと、二人の影法師が原っぱの上に、火災の余光を浴びて、影を引いて動き出しました。
 ようやくにして被害地のところまで来て見ると、それは申すまでもなく戦場同様の有様であります。消防に出陣した人のすべては、まだ一人も退却したものがないようです。
 何事でしょう、火はもう鎮《しず》まったのに、人の面色《かおいろ》にまだ険悪の色が消え失せないのは。
 険悪ではない、不安の憂色です。憂えの色が、火の光と、働きの疲労に彩《いろど》られて、それで険悪に見ゆるのでした。
 しかし、険悪にせよ、不安にせよ、漲《みなぎ》り溢《あふ》れている人々の面《かお》の憂色は、拭うこと
前へ 次へ
全187ページ中180ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング