》で、火の方向に向いて、歩みを運びはじめました。
弁信は勘《かん》のせいで、いかなる時にも、いかなる道をも、踏み間違えるという心配はないが、しかし、非常と知って、特に急ぐというの自由は持ちません。
憂えを胸におさえつつも、非常に向って、ゆっくりした足どりで進んで行くうちに、おびただしく馬の嘶《いなな》く声、軒の燃え落ちるらしい音、竹のハネル音、それと共に、近隣で鳴らす半鐘の音までが、いとど凄愴《せいそう》たる趣を添え来《きた》るのであります。火はようやく大きくなりました。
しかも、それはまだ七八町も離れてはいるが、弁信ほどのものが、その精密な距離の測定と共に、現に焼けつつある家が自分と、どういう関係の遠近にあるかということの見立てを、誤るという理由は少しもありません。
いま、焼けつつある家は、自分が現に厄介になっている藤原家の邸内の、そのいずれかの部分であることは間違いがありません。藤原家の屋敷では、親子兄弟がみんな別々の棟に住していますから、納屋《なや》、物置でない限り、そのうちの誰かの住居《すまい》が焼けつつあるに相違ない。誰のが焼けていいという理由はないが、もしや……と弁信の胸がつぶれるのであります。
ここで、もし弁信の眼が見えて、その鋭敏な頭脳に、火と、煙の色とが映って来たなら、直ぐにそれによって、家屋の新旧と、建築の大小を判断して、これは誰の住居だと推定してしまったでしょうが、この場合、そこまでの判断を強《し》うるのは酷《こく》です。
そうして、不自由のうちにもできる限りの用心と、速度とを以て、非常の方に急いで行きますと、その行手に当って、また一つのものを感得しました。
まさに、こちらへ向って走って来る人がある。その人は一人である。たった一人で、自分と向い合って走り来《きた》る人があることはまぎれもないと思いました。
おお、そうそう、その人の荒い、せききった息づかいさえ、この胸に響き渡るではないか。
三十一
そこで弁信が立ちどまっていると、走り来って、ほとんどぶっつかろうとして、危《あや》うく残して避けたその人が、
「まあ、あなたは、弁信さんじゃないの」
「そういうあなたは、お嬢様でございましたね」
「あ、なんだって弁信さん、今時分、こんなところを一人歩きをしているのです」
「それは、私から、あなたにお尋ねしたいとこ
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