ございましょう、正しく物をみることの余裕を奪われたその瞬間から、憤怒の炎が吹き出して参るものでございます。雑念、妄想の世界を離れて、空無相の本体をごらんになれば、そこに怒るべき我もなく、怒りを移すべき人も無いはずではございませんか――」
 弁信のひとり言は、ここで一段落になったけれども、言葉が終ると共に、弁信の鋭敏な頭のうちに、お銀様というものの姿がありありと現われました。
 弁信は、お銀様というものには少しも悪意を持っていないのです。悪意を持つべきいわれもありませんけれど、親しく生活して、たがいに打ちとけ合ってゆくうちに、お銀様という女の人の性格に、非常にいいところのあるのを、何人よりも多く発見しているのが弁信であります。家の者全体が、その父親でさえが、腫物《はれもの》にさわるようにあしらっているお銀様という人を、弁信のみが、寛宏《かんこう》な、鷹揚《おうよう》な、そうして、趣味と、教養の、まことに広くして、豊かな、稀れに見る良き女性だと信じ、且つ親しむの念を加えてゆくことができるというのが、不思議です。
 しかし、お銀様自身は事毎《ことごと》に弁信に向って、自分の形相の、悪鬼|外道《げどう》よりも怖ろしいことを説いて、それを怨《えん》ずる度毎に、例の瞋恚《しんい》のほむらというものに油が加わることを、弁信は手にとるように見ているのです。
 だが、幸か不幸か、お銀様自身が吹聴する容貌の醜悪なる所以《ゆえん》を、弁信には見て取ることができません――この点は、机竜之助の見る眼と、性質を根本的に異にして、その作用は一つなのであります。
 竜之助は、容貌の人としてのお銀様を知らずして、肉の人としてのこの女を、飽くまで知りました。弁信は今、その他のものに盲目にして、心の人としてのお銀様を見ることに親切でありました。
 弁信の前にのみ、傷つけられざるお銀様の、少女としての、処女としての、大家の令嬢としての品性が、美しくえがき出さるることがあるのであります。弁信のみが、彼女の僻《ひが》めるすべての性格を忘れて、本然《ほんねん》の、春のように融和な、妙麗なお銀様の本色を知ることができるらしくあります。
 しかし、ひとたび、物に触れて彼女が、その怖るべき瞋恚の一念に駆《か》られて、満身の呪詛《じゅそ》を吐き出し来《きた》る時には、さすがの弁信といえども、それに一指を加えることができ
前へ 次へ
全187ページ中170ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング