再び、七兵衛に向って、たらし[#「たらし」に傍点]餅をすすめます。
そこで七兵衛はお茶を飲み、たらし[#「たらし」に傍点]餅を食いながら、なにげなく、
「それでわかった、それで委細がわかりましたよ、お松さんという人が、ああして新町へお堂を建てたり、そのお堂の中に納めてあった絵馬《えま》が、こんなところへ来ていたりする因縁《いんねん》が、よくわかりましたよ。しかし、若い衆さん、わが子を捨てるほどの親を、血眼《ちまなこ》になって探し廻るような仕事はよした方がようござんすぜ、子を捨てるほどの無慈悲な親に、ロクな奴があるはずがありませんからね。よしんば探し当てて、おおお前がお父さん、おおお前がせがれか、と抱きついてみたところで、ツマらねえお芝居さ、少しほとぼりがさめてごらんなさい、子供の方がちっと、よくでもなっていて、小遣銭《こづかいせん》をねだりに来られたりするうちはまだいいが、万々が一、その親という奴がたち[#「たち」に傍点]の良くねえ奴でもあってごろうじろ、それこそ親子の名乗りなんぞしなかった方が、ドノくらい仕合せかとあとで臍《ほぞ》を噛《か》むようなことがなんぼう[#「なんぼう」に傍点]もございまさあ。生みの親にめぐり逢いてえとか、この世の名残りにせがれに一目あって死にてえとかいうのは、お芝居としちゃあ結構な愁嘆場《しゅうたんば》かも知れねえが、生《しょう》で見せられると根っから栄《は》えねえものなんだぜ……お前さんも、そこをよく心得ていなくちゃいけねえ。お松さんにもよくその事を言っておかなくちゃいけねえ。親は無くても子は育つんだからなあ、それ、世間でも生みの親より育ての親と言うだろうじゃねえか、拾って下すって、今日まで面倒を見て下すったその御恩人に対して、御恩報じをする心持でいせえすりゃ、それでいいのさ。西も東も知らねえおさな児を、かわいそうに野原の真中へ打捨《うっちゃ》って、虎狼《とらおおかみ》に食わせようなんていう不料簡な親を慕って、それにめぐり逢いてえなんて、だいそれた料簡だ、よくねえ料簡だ。お松さんにも、よくそいって置きな、この忙がしい世の中に、棄児《すてご》の親なんぞを探す暇があったら、襦袢《じゅばん》の一枚も縫っていた方がいいって……お前さんだって、そうさ、お地蔵様を信心すれば、生みの親に逢えるだろうなんて、あんまりたあいがなさ過ぎらあな。それよりは
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