も、白骨の温泉が別府となり、熱海となる気づかいはあるまい。まして日本アルプスの名もまだ生れてはいないし、主脈の高山峻嶺とても、伝説に似た二三の高僧連の遊錫《ゆうしゃく》のあとを記録にとどめているに過ぎないし、物を温むる湯場《ゆば》も、空が冷えれば、人は逃げるように里に下る時とところなのですから、ある夜のすさびに、北原賢次が筆を取って、
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白狼河北音書絶(白狼河北、音書《いんしょ》絶えたり)
丹鳳城南秋夜長(丹鳳城南、秋夜《しゅうや》長し)
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と壁に書きなぐった文字そのものが、如実に時の寂寥《せきりょう》と、人の無聊《ぶりょう》とを、物語っているようであります。
その時、その温泉に冬越しをしようという人々――それはあのいや[#「いや」に傍点]なおばさんと、その男妾《おとこめかけ》の浅吉との横死《おうし》を別としては、前巻以来に増しも減りもしない。
お雪ちゃんの一行と、池田良斎の一行と、俳諧師《はいかいし》と、山の案内人と、猟師と、宿の番人と、それから最近に面《かお》を見せた山の通人――ともかくも、こんなに多くの、かなり雑多な種類の人が、ここで冬を越そうとは、この温泉はじまって以来、例のないことかも知れません。
そこで、この一軒の宿屋のうちの冬籠《ふゆごも》りが、ある時は炉辺の春となり、ある時は湯槽《ゆぶね》に話の花が咲き、あるときはしめやかな講義の席となり、ある日は俳諧の軽妙に興がわくといったような賑わいが、不足なく保たれているのだから、外はいかに寒くなろうとも、この湯のさめない限り、この冬籠りに退屈の色は見えません。
ことに、この冬籠りに無くてならぬのはお雪ちゃんであります。見ようによれば、お雪ちゃんあるがゆえに、この荒涼たる秋夜に、不断の春があると見れば見られるのであります。誰にもよいお雪ちゃん――どうかすると、このごろめっきり感傷的になって、ひそかに泣いているのを見るという者もあるが、それでも表に現われたところは、いつも気立てのよい、人をそらさぬ、つくろわぬ愛嬌《あいきょう》に充ち満ちた微笑を、誰に向っても惜しむことのないお雪ちゃん――
お雪ちゃんは今、柳の間で縫取りをしている。
縫取りといっても、ここでは道具立てをしてかかるわけにはゆかないから、ただあり合せの黒いびろうど[#「びろうど」に傍点]に、白の
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