を教育の上に応用して、塾生の士風を涵養《かんよう》するにこれを用いたものです――朗詠が多く入っています。詩吟を教育に応用するというのは、非常にいいことだと思います。人生に音楽がなければ、その人生は唖《おし》です、教育に音楽がなければ、その教育は聾《つんぼ》です。宗教と、音楽とは、全く離すことができません――孔夫子ですらも、楽《がく》を六芸《りくげい》の一つに加えているのに、今の儒者共で、孔夫子のいわゆる楽を心得た奴が幾人ありますか……それはそれとして、今度はひとつ、その山陽流をやってみましょう。それは同じく胡笳の歌をえらぶよりは、山陽自身の詩によって試みた方が、よくうつるかも知れません――先生の『筑後河』をひとつ、その調で吟じてみます」
といって田山白雲は、以前のとは全然、調子をかえた吟じ方で、
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文政の元《げん》、十一月
われ筑水を下らんとして舟筏《しうばつ》をやとふ
水流|箭《や》の如く万雷ほゆ……
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田山白雲が、ようやく筑水の詩をうたいはじめた途端に、向うの方で、突拍子《とっぴょうし》もない声で、
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どんちゃ、どちどち
どんちんかん
みょうちゃがろくすん
とうらい、みょうらい
きうす、きうす
さんでん、しんでん
こんにゃか、ぶうくぶっく
は、きくらい、きくらい
きうす……
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これはもとより何の意味だかわからないが、清澄の茂太郎が近づいて来たことがわかります。
白雲の詩吟が、これで、すっかり打ちこわされてしまいました。
留守にあっては、この時分になって、ようやくマドロス氏も、多年の眠りからさめました。
醒《さ》めて、そうして、まだ醒めきらぬ酔眼をとろりとさせて、室内を見廻すと、誰もいないが、さながら自身のためにしてくれたもののように、カンカンと燭光《しょっこう》はかがやいているし、炉炭も適当に加わって、寝ざめの具合が、いかにも快適なものですから、納まり返って、
「モッシュウ、モッシュウ」
と意味不分明なる呼び名をしてみましたが、誰も来るものがありません。
かなり時も経《た》ったろうが、さあ今晩はどこへ寝かしてくれるのだろう。あんまり静かだ。快適もいいが、こうなってみると、なんだか置いてけぼりにされたような気持もしないではない。そこで再び、
「モッシュウ、モッ
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