、今、駒井の研究心を刺激していると思われるのに引きかえて、田山白雲は放胆に、
「実際、この辺の海には竜というものがいるのかも知れん、馬琴の八犬伝のはじめの方に、素敵な竜の講釈が出ている、あれによると、竜というものにも、かなりの種類があることを教えられる――」
「有史以前にはねえ……」
八犬伝の竜説は一向、駒井の念頭にはないと見えて、ほかの方に話材を持って行き、
「有史以前には、竜のようなものがあったかも知れない――この間、支那の書物で『恐竜』という文字を見たが、あれは支那本来の文字ではないらしい。事実、この人類以前の世界には、竜に似た百尺程度の大きな動物が地上にのたうち廻っていたように、西洋の本には書いてあるのだが、そういう時代の想像が、人間の頭のどこかに残っていて、そうして、竜という不可思議な動物をこしらえ上げたのかも知れない。人間の想像し得るかぎりのものには、大抵、事実上の根拠があるのだから」
「といって、人間の存在しなかった時分の存在を、どうして人間の頭で想像がつきます、生れぬ先の父ぞ恋しき、というわけでもなかろうに」
「いや、人間は存在しなくとも、人間の胚子《はいし》、或いは精虫といったようなものは存在していたに相違ない。それが先天的の印象で、人間の形になるまで残っていて、想像が働き出した時には、生れぬ先の父でもなんでも、形に表現してみることになるのじゃないか知らん。事実、人間が想像だの、空想だの、不可思議がるものは、みな前世界の実見の表現ではないかしらと、このごろは、そう思わせられることが多い」
「そうしてみると、その前世界とか、有史以前とかいう時に生きていた不可思議な動物というのが、今日、生きていないのはどうしたのです」
「それは種が切れたのだな」
「種が……」
「今日、想像だけに上って、実際に見ることのできぬものは、すでに、その種族が絶滅してしまったのだ」
「ははあ、種切れになったのですか。してみると今日、われわれのように、人間の形をとって生きている生物も、次の世界には、種切れになってしまうと見なければならん」
「左様、この地球――この地上が、地上として今日のように固まるまでには、幾多の生物が現われて蕃殖《はんしょく》したかと思うと、それが全く種切れになって、次の時代に移り……」
駒井甚三郎が竜の疑惑から、種《しゅ》の問題に進んで行く時、あわただし
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