窓の外は、けんけんごうごうとして、潮《うしお》のわくような騒ぎであります。
駒井甚三郎も、田山白雲も、そのあまりな仰々しさに、立って窓を開いて見ると、漁師ども十数名、中に裸体で着物をかかえた海女を一人とりかこみ、いずれも恐怖と、狼狽《ろうばい》の色を、面《おもて》に漲《みなぎ》らしている。
「どうしたのだ」
「海竜が出ましたよ、海竜が」
「海竜とは何だ」
「角を二本生やした海竜が、おっかない面《かお》をして、海を泳いで、このあま[#「あま」に傍点]を追っかけて来やんして、すんでのことに……」
「いったい、海竜というのは何だい」
駒井が、あまりの仰々しさに、漁師どもに問い返すと、
「海竜に逢っちゃたまりませんや、御用心なさるこってすよ、いつどこへ出て来るか知れやしません、今夜は寝られませんよ、夜っぴて寝ずの番です。明朝になったら、先生、退治しておくんなさいまし、あの大筒《おおづつ》でもって。いかな海竜だって、大筒にゃかなわねえや」
海竜とは何物だ、ということには返答しないで、ただその海竜の恐るべきことだけを説いている。
そこで、駒井は考えました。この連中が海竜といったのは、鯨のことでもありはしないか。何かの間違いで鯨がこの浦へ流れついたのでも見て、そうして海竜、海竜とさわいでいるのかも知れない。そこで駒井は、再び念を押してみました。
「君たちが海竜というのは、鯨のことでもあるのかい」
「いいえ、どう致しまして、鯨ならば殿様、逃げるどころじゃござんせん、鯨ならばいいお客様ですよ――鯨なら浦が総出で、とっつかまえてしまいます、海竜に逢っちゃかないません……」
海の最大の生物よりも、恐るべき海竜というものの襲来が、どうしても駒井にはのみこめないでいると、
「どうか殿様、御用心なさいまし、当分は、どなたも、外へお出しにならねえのがようございますよ、そのうちなんとかなりましょう、ほんとうにお気をつけなすっておくんなさいまし」
彼等は喧々囂々《けんけんごうごう》として、これだけのことを報告に来たものらしい。大筒《おおづつ》で退治してくれというようなことは、思いつきの、お座なりの希望で、とにかく、この近海へ、異様な怪物が現われたから充分の御注意あってしかるべし、ということを、親切気を以て報告に来てくれたことは疑いないのであります。彼等が行ってしまったあと、田山白雲も
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