に大きくうなずきました。自分の得意の問題には、泡を飛ばして気焔を吐くが、自分の至らざる知識については、極めて神妙に人の説を聞いているのがこの男の性質です。そうして、特に海の問題について、駒井の知識をたたくと、それが田山には、無尽蔵の知識のように思われて、単に海の知識を聞くだけでも、相当の年月をここに費して足りないとさえ思われるのです。
 田山は全く駒井の知識に敬服している。人物思想の全幅《ぜんぷく》に傾倒するというには、どことなく物足りないことがあるけれど、駒井の知識の実際に根ざし、計数を基として、ねちねちと語り出されるときには、絶対無条件で敬服、聴従するのが例であって、今もその通りです。
 田山はおそらく徹夜して、その駒井の持てる知識の傾注に、飽くるということを知らないでしょう。
 駒井もまた、この男に語るのは、知識を捨てるのだとは思えない。自分自身すらも、研究室にあると同じほどの熱心をもって、それからそれと語り出でて、このごろは食後、そのままが直ちに研究の結果の発表になってしまったり、講壇の講義そのままになってしまったりすることが、珍しくはありません。
 金椎は気を利《き》かして、蝋燭《ろうそく》を立て増してこの部屋を明るくし、炉炭を加えてこの室を暖かにし、二人が、いつまでも語り明かすに不快を起させまいと働きます。
 ひとり、例のウスノロ氏――改めマドロス氏は、以前の通りそうごうをくずして横椅子の上に、たあいなくふんぞり返って、いびきをかいているばかりです。
「陸の土地は限りあるものです、海だって限りがないとはいえないが、陸に比べると無尽蔵といってよい。将来、日本でも人間が殖えて、土地が狭くなる、食物が乏しくなる、そういった時に、陸だけに眼を限らないで、海から食物を上げる、これは大切なことです。単に食物を上げるだけではいけない、それを殖やすこと……近年までは、この北の方の川、北上川だの、利根だの、最上《もがみ》だのというのに、海から盛んに鮭が上って来たのですが、近年それがトンと少なくなったということですが、いくら無尽蔵だといっても、乱暴をしてはたまらない、捕る時は盛んにとり、繁殖の道はまた、保護奨励の法を講ずるといったように、物を得るには、また物を愛しなければならないのだ」
 異った方面から、駒井が食糧問題に説き進むのを、田山も充分に諒解《りょうかい》して、

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