ら、朝飯を食べる。
 一方、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、しにもの狂いで小田原の町々、辻々を、かけめぐっているが、前に立ちふさがる者も、後ろから追う者も、どちらもその姿をありありと認めながら、どうしても簡単にはつかまらない。
 百の駈足が、想像外にはやいのみならず、その身のこなしが、油のように滑《すべ》っこく、ちょっとやそっと捉まえたのでは、ツルリツルリと抜けられてしまうのみならず、今は片手に脇差を抜いて振り廻しているのだから、せっかく追いつめたものも、立ちふさがったものも、キワどいところでいなしてしまう。
 そこで、無人の境を行くようなあんばいで、唐人小路まで走って来た時分、この辺を突破されると、まもなく海辺へ出るのだが、海辺へ出られてしまっては事だ。
 やはり、その時分のこと、例の講釈師南洋軒力水と、その弟子分になっている心水という二人が、江戸へ下るとてちょうど、この唐人小路へ来合わせたが、
「おやおや、がんりき[#「がんりき」に傍点]がやって来たぜ」
「面白い、面白い、死物狂いでやって来た」
「奴、つかまるか知ら」
「なあに、あいつが、なまなかのことで、つかまるものか」
「でも、あぶないもんだ、一番、助け船を出してやろうか」
「よせよせ、打捨《うっちゃ》っておけ、けっこう、一人で逃げおおせる奴だよ」
 この講釈師は申すまでもなく、南条力と、五十嵐甲子男の二人であり、長いこと、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百を手先として使用していながら、その危急を見て、面白がって見殺しにしているのは、頼もしくないこと夥《おびただ》しい話であるが、一方からいえば、がんりき[#「がんりき」に傍点]の敏捷《びんしょう》を信じきって、捕手の働きにタカをくくっているとも見える。
 そうして、その死物狂いの逃げっぷりを面白がって、足をとどめてながめているが、ながめられるがんりき[#「がんりき」に傍点]の方は、たしかに冗談事ではなく、大童《おおわらわ》で、眼は血走って、脇差を振り廻しながら、唐人小路を走る時には、人の悪い南条と、五十嵐との姿は、いつか見えなくなってしまう。
 その時分、唐人小路の辻番のところに立って、往来をながめていた山崎譲が、
「やって来たな、がんりき[#「がんりき」に傍点]め、丸くなってやって来やがった」
 これも、面白がって、命がけで逃げて来るがんりき[#
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