みたところで、ちょっと気の利《き》いた日傭取《ひようとり》の分ぐらいにしか当るまい。それでいて、一歩あやまれば首が飛ぶのだ。実際、泥棒なんという仕事は、道楽でなければできる仕事ではない――見ること、聞くこと、今日はいやな日だ、と七兵衛は、そのままゴロリと横になりました。
ゴロリと横になったけれど、七兵衛においては、ゴロリと横になることだけでさえが、相当の思慮用心を費さねばならないのです。
たとえば、こうして横になっている間にも、疲れが出てツイうとうととした時分にでも、不意に御用の声を聞こうものなら、咄嗟《とっさ》にハネ起きて、さばきをつけるだけの用心をしていなければならない。
そこで、七兵衛は、横になった身体《からだ》を、そのまま自分で衝立《ついたて》の蔭まで引きずって行き、頭から合羽《かっぱ》をかぶり、枕もとへは煙草盆を置いて、これが万一の場合は目つぶしになり、それと同時に、この衝立の上へ足をかければ、あの窓から外へ飛んで逃げられる――そこまで考えてからでなければ、昼寝もできないのです。
いや全く、盗賊という商売は、手数のかかる厄介な商売だ――人に戦争をさせて、大金を儲《もう》けようという忠公などはああして、小威勢よく、天下晴れた顔をして飛び廻っているのに――なるほど、どちらから行っても、泥棒は馬鹿のする仕事で、割に合わないことこの上なし……なんぞと、愚痴を考えていながらも、昨夜の疲れがあるものですから、七兵衛はうとうとと夢路に迷い込みました。しかし眠りに落ちてからにしても、こういう人間は、なかなか手数がかかるので、前後も知らぬ熟睡ということは、一年のうちに幾度もあるものではない。眠れるが如く、眠らざるが如く、畳の足ざわりでさえ目をさます程度で熟睡をしなければならない。
そういうふうにして、七兵衛が衝立《ついたて》の蔭で、眠れるが如く、眠らざるが如き熟睡を遂げているが、その耳の中へ聞ゆるが如く、聞えざるが如く雑音の入り来り、夢とも、うつつとも、わからない心持でいることは是非もない。
衝立を隔てて幾人かの人があって、その者の語るところは……近いうちにこの屋敷へ西郷が来るそうだ……イヤ、もう来ているよ……ナニ、西郷がこっちへ来ている、そりゃ嘘だろう……嘘ではないさ、中村と、有馬を連れて、やって来た、しかも東海道をテクでやって来た……あの大きなズウタイで、よく歩けたものだな……ナニ、足はなかなか達者だよ、西郷はあれで、あのズウタイで、乗物に乗らず、わらじばきで、前ぶれもなしにさっさとやって来ては、またいつのまにか帰ってしまう、だから、せっかく西郷に逢いたがっていたものが失望する……失望はいいが、そう軽々しく出歩いた日には、あぶなかろう……そこがつまり、一種の機略だろう……大びらに西郷江戸に来《きた》るとなれば、江戸の天地が、安政の大地震以上に震動するかも知れない……ははあ、薩摩の陪臣《ばいしん》一人が出て来ると、江戸の天地が、安政の地震以上にゆれるとは大仰だ……西郷という男は、それほどエライ男かい、あれも人気者じゃないかな……薩摩というものを背負って、大舞台を睨《にら》んでいるその形に呑まれて、大向うがやんやと騒ぐだけのもので、事実、人気ほどの英雄じゃあるまい――長州の大村、同じ薩摩でも大久保あたりの方が、実力はズンと上だといっている……
こんな途切れ途切れの言葉を、七兵衛は夢うつつに聞いておりました。
つまりこの頃、右の薩摩屋敷に、西郷なるものが乗込んで来ているという噂《うわさ》。
八
信濃の国、白骨《しらほね》の温泉――
そこへ、このほど、山の通人が一人、舞込みました。
もう、これだけ以上には、ここで冬籠《ふゆごも》りをしようというまでのものはないことと、誰しも了簡《りょうけん》しているところへ、山の通人が、同行者を一人つれて、不意に訪れたものですから、新顔が加わって、また新しい話題が湧きました。
この山の通人は、ツマリこの辺の谷々を経《へ》めぐることにおいては、かなり豊富な知識を持っているらしいから、その経験談は、おのずから炉辺《ろへん》の人を傾聴せしむるに足りるものがありましたが、惜しいことには、この人は少し高慢で、山のことなら自分に限ったものと鼻を高くして、人をさげすむの癖がありましたから、最初は多少尊敬していた人も、うんざりするようになりました。
しかし、お雪ちゃんは、いつもの通り、よい心だてを以て、この新来のお客に対し、相変らずその持っている知識から、何かの収穫を見ようとする熱心さは、変ることがありません。
山の通人は、出来星[#「出来星」に傍点]の博士が、小学校生徒に教えるような態度で、見おろしかげんに、
「お雪さん、あなたはこの間の手紙に、ツガザクラの下を歩いたように書いて出したそうですが、あんなことを書くと、笑われますよ」
「わたし、そんなことを書きましたか知ら?」
「は、は、あなたは、ツガザクラという植物を知らないのでしょう」
「ええ」
「あれは高さ四五寸の、灌木《かんぼく》というものだ、四五寸の植物の下を人間が通れますか、生物知《なまものじり》を書くと笑われますよ」
と言って山の通人が、ある晩のこと、炉辺に人が集まった時を見越して、わざとお雪ちゃんに向って、こんなことをいいましたから、お雪は真赤になって、
「そうでしたか知ら?」
自分は、そんなことを書いた覚えはないのに、この通人は、わざと人前で、聞えよがしに言うのは、ツマリ自分の知識のほどを、人に見せつけたいという根性が、ありありと見え透きましたから、一座の人も、何となく不愉快に感じましたが、お雪は強《し》いてそれを争おうともしませんでした。
山の通人は、いよいよソリ身になって、
「そんなに恥かしがることはありませんよ、この間も、馬琴の小説の常夏草紙《とこなつぞうし》というのに、多摩川の岸に、大和なでしこ[#「大和なでしこ」に傍点]が咲き乱れていると書いてあったから、わしがウンと笑ってやりました」
通人というのは、お召を着てオホンと取澄ますばかりが通人ではない。自分の持っている知識を鼻にかけて、人を見おろしたがるのは、山の通人にもあるのか知ら、と一座の者が思いました。
いったい、山岳にでも登ろうとするほどの人は、もっと、気象高大に出来ていそうなものだが、クダらない通人もあるものだ、と思いました。
それから、話があぶみ小屋の神主のことになると、山の通人が、それをもセセラ笑って、
「何ですって、神主様が行《ぎょう》をしていて、乗鞍の山へ平気で往復する――そんなことがあるものか、それは嘘だろう」
「いいえ、嘘ではありませんよ」
「神主様というものは、そんな行をするもんじゃない――それは修行者だろう。いったい、神主サンは高山に登らないものだよ」
山の通人は、眼中人なきが如くに一座を見廻して、とりすましました。
一座の中には、万葉学者の池田良斎先生もいれば、その他、多少の教養もあり、山の知識経験を持っているものもあるのですが、この博識ぶった山の通人は、天下に山のことを心得たものはおれ一人、という気位を見せたものですから、一座の中から、
「ヘエ、神主サンというものは、高山へ登らないものですかね?」
と、眠そうな声で、念を押したものがありました。
「左様、神主サンというものは、高山へ登らないものだ」
山の通人が、いよいよそっくり返ったのは、相変らず出来星《できぼし》の博士が、小学校の生徒を相手にするような態度でありました。そうすると一座の中から、突然に、
「御冗談でしょう」
とひやかし気味に、やり返すものがある。
「何ですって?」
山の通人も、気色《けしき》ばむ。
「いつ、神主サンが、高山へ登って悪いという規則が出ましたか?」
「誰も、規則が出たとはいわないが、神主は高山へ登らないもので、高山で行《ぎょう》をするのは修験《しゅげん》のつとめだ」
「お前さん、博識ぶって、燈台|下《もと》暗しのことを言いなさんな、神主が、高山に登らないなんてタワ言を言うと、お里が知れますぞ」
「ナニ?」
「論より証拠を、お聞きに入れましょう」
といって、山の通人と喧嘩を買って出たのは、池田良斎の一行、北原賢次であります。
一座のものは、傲慢《ごうまん》無礼な山の通人の博識ぶりに、不愉快を感じていたところですから、この喧嘩相手の出たのを、むしろ痛快に感じてだまっていました。
山の通人は、自分の博識の権限を犯《おか》されでもしたように、ムッとして、
「論より証拠――証拠があらば聞きましょう、一体、神主は高山に登らないもので、高山修行は修験者《しゅげんじゃ》に限ったものだ」
「ところで――物識《ものし》りの先生、この信州松本に、藤江正明老人という神主様のあることを、御存じですか?」
「それが、どうしたのだ」
「それは神主サンでございますよ、ねえ、池田先生、先生も御存じでしょう、松本の藤江正明老人は神主様であって、また歌人としても、相応に知られていますね」
北原賢次は、池田良斎を顧みて駄目を押しますと、池田良斎は、無言でうなずいて見せました。
そこで山の通人が、またせき込んで、
「その老人で、神主で、歌よみだという人が、どうしたのだ?」
「まあ、せき込まずにお聞き下さい。この老人は、今が七十歳の老年でございますが、日本の高山という高山は、たいてい登っておりますよ。念を押しておきますが、藤江翁は神主さんでございます」
「…………」
「もう少し詳しくお話し申しましょう。ある年、この藤江老人は加賀の白山《はくさん》に登りましたが、途中で暴風雨にあい、一週間、山中の小屋で水ばかりで生きており、雨がやむと、その足で頂上へのぼり、ゆるゆる遊覧して下山し、宿屋の者を驚かしました」
「そりゃ、あんまり……」
「まあ、お聞きなさい。それから藤江老人が、この乗鞍へ登った時も、頂上で暴風雨にあいました。動くとあぶないから、岩に身を寄せて待っていると、七ツ時から始まった暴風雨が、翌日の五ツ半時まで、ちょうど十七時間つづきました。その間、老人は単衣《ひとえ》一枚で、乗鞍ヶ岳の頂上の岩石に身を寄せて、その危険を逃れたのですが、いかがです、これらは人間業とは思われますまい……藤江老人は神主様でございます」
「そんなことが、有り得べきことでない、有り得べからざることだ」
と山の通人は、躍起となって叫び出すと、北原賢次は冷然として、
「有り得べきことか、有り得べからざることか、現在この拙者が、その老人の冒険を、実際に見聞しているのだから仕方がない。といっても、それだけの鍛練が、一朝一夕で出来るわけではありません、本来虚弱な藤江老人が、どうしてそれだけの胆力を養い得たかということをお話ししましょう。それというのも、あなたが、神主は高山に登らない、神主は高山で修行をしないとおっしゃったから、その証明として申し上げるまでですよ」
北原賢次は、それから、神主であり、登山家であり、修行者である松本の藤江正明翁が、三十までしか生きないといわれた虚弱な身を以て、いかにして、それほどに超人的な身体《からだ》をきたえ得たかという実験を、細々《こまごま》と語り出でたのは、一座の人を、本心から傾聴させるの価値がありました。
そこで池田良斎も、日本の山岳と、神霊との間には、離るべからざる関係があって、大和の三輪山あたりは、山そのものが神社になっているあたりから説き出して、修験道《しゅげんどう》も、半ば神道のものであり、自分の知れる限りにおいては、まだまだいくらも高山に登ることを好み、高山を修行の道場とする神主のあることを、実例をあげて説き出そうとするものだから、山の通人がいよいよセキ込んで、
「イヤ、物はそう一概に言うものではない、例外というものもあるし……」
とさわぐのを、良斎が尻目にかけて、
「それから、あなたは、馬琴の常夏草紙《とこなつぞうし》の中に、多摩川の岸に、大和なでしこ[#「大和なでしこ」に傍点]が咲き乱れていると書いてあったといいますが、どの
前へ
次へ
全26ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング