くれたものですから、お経はわからないものだと思っているお松の耳に、意外にもありありと字句の要領がわかりました。
 供養《くよう》が終ると広庭で、若衆《わかいしゅ》たちの獅子舞がはじまりました。
 この獅子舞がまた目ざましく盛んなもので、多数の牡獅子《おじし》と、牝獅子《めじし》と、小獅子《こじし》とが、おのおの羯鼓《かっこ》を打ちながら、繚乱《りょうらん》として狂い踊ると、笛と、ささらと、歌とが、それを盛んに歌いつ、はやしつつ、力一ぱいに踊るが、それは粗野ではない。花やかにはやすが、それは古雅の調べを失わない。人をして壮快に感ぜしめながら、野卑の態なくして、妙に酔わしむるリズムがある。
 お松はこの古風な獅子舞を、また得易《えやす》からぬものだと思いましたが、年寄に聞いてみても、ただ古くから伝えられているとばかりで、いつの頃、誰によって、この地方へ持ち来たされたものだか、それはわかりませんでした。
 その古風な舞いぶりを、今の若衆《わかいしゅ》たちが老人の後見で、伝えられた通りを大事に保存しながら、威勢よく舞っているらしいのが、お松をして、いっそう珍重《ちんちょう》の念を起させたようであります。
 お松は上方《かみがた》にある時、ある舞と踊りの老師匠の口から、次のように聞かされたことがあります。
 今の世は、踊りの振りというものも、舞の手というものも、みんなきまる[#「きまる」に傍点]だけはきま[#「きま」に傍点]ってしまった。新作とはいうけれど、そのきまった形を、前後にくりかえしたり、左右に焼き直したりするだけのものだから、いくつ見ても、要するに同じようなもので、多く見れば見るほど、倦厭《けんえん》と、疲労とを催すに過ぎない。これは形が爛熟《らんじゅく》して、精神が消えてしまったのだ。舞踊の起った最初の歓喜の心を忘れて、末の形に走るようになったから、今、都の踊りに、見られた踊りは一つもない。そこへゆくと、古来伝わった郷土郷土の踊りを、生気の溢《あふ》れたそぼくな若い人たちが器量一ぱいに踊ると、はじめて、人間の歓喜、勇躍の精髄が、かくもあろうかとおもわれて、手に汗をにぎることがある。都の舞踊を改革するならば、郷土の舞踊の精気を取入れなければならぬ。そうでなければ踊りは死んでしまう。いや、今の都の踊りはすべて死んでいるのだ――こう言ってその老師匠は、ひま[#「ひま」に傍点]さえあればいなか廻りをして、古来伝えられた民謡と舞踊とを、調べて歩くのを楽しみにしていた。それをお松は、この場に思い合わせて、人間には教えることのほかに、楽しむことの大なる意味を見出し、趣味の方面に、また一つの窓が開かれたように覚えました。
 獅子舞が済んだ時分に、与八が、ブラリとしてこの地蔵の庭へやって来ました。
 それを早くも見つけた子供たちが、
「与八さんが来たよ」
「お人よしの与八さんが来たよ」
 腰から下に、子供たちが群がったところを見ると、与八の巨躯《きょく》が、雲際《うんさい》はるかに聳《そび》えているもののようです。
「お人よしなんて言うのをよせやい、ねえ、与八さん」
 あるものは、与八の帯に飛びつく。
「与八さん、今日は一人なの?」
 女の子は、やさしく言う。
 与八が一人で、ブラリと出て来ることは珍しいことであります。大抵の場合には、その背中に子供を負うて、左右には何かを携えている。それが今日に限って、背中にも子供がいないし、左右も手ブラですから、それが子供の目にもついたらしい。
「与八さん、いい着物を着て来たね、袂《たもと》があるのね」
 これもまた珍しいことです。与八がよそゆきの着物を着出すことも滅多にないことであるし、しかもその着物に袂までついた仕立おろしと来ているから、子供たちの驚異の的となるのも無理はありますまい。
 藍縞《あいじま》の、仕立おろしの、袂のついた着物を着た与八は、恥かしそうに、その巨大なる身体をゆるがせつつ動き出すと、無数の子供が身動きのできないほど、その前後左右に取りついてしまいました。
「与八さん、何かして遊ぼうよ」
 これは、単に子供たちの注意をひくのみならず、人並外《ひとなみはず》れた巨大な男が、子供の海の中を、のそりのそりとほほえみながら歩いている有様は、誰が見ても一種の奇観であると見えて、歩みをとどめて、手を額《ひたい》にして、その奇観を仰ぎ見ない大人もありません。
「与八さん、『河原の石』をして遊ぼうね、いいかい、みんな、ここで『河原の石』をして遊ぶんだぞ」
 与八は、早くも子供たちのために、杉の木の下の芝生の上へ押し据《す》えられてしまいました。
 与八を、杉の木の下の芝生の上へ押し据えてしまった子供たちは、あたりの小石を拾いはじめ、それで足りないのは、わざわざ河原まで下りて行って小石を拾い集め、それを与八の坐った膝のところから積みはじめ、肩の上に及びました。
「動いちゃいけないよ、これから頭だよ」
 膝と、肩の上へ、積めるだけ積み上げた子供らは、踏台をこしらえて、与八の頭の上まで石を積みにかかりました。
「頭の上はよせやい、与八さんだって、頭が痛いだろう」
「いいねえ、与八さん、いいだろう、お前の頭の上へ石を積んだって、かまやしないね、一重《いちじゅう》組んでは父のため、二重組んでは母のため……なんだから」
 与八は、だまってすわったまま、相変らずほほえんでいるばかりであります。
「三重組んでは……あ、いけねえ」
 頭の上は、膝の上よりも、肩の上よりも、いっそう、石の安定がむずかしいと見えて、せっかく積んだ石が崩《くず》れる。
 崩れた石が、下に積み上げた膝の上をまた崩す。子供たちはそれをまた下から積み直す。
 見ているところ、入りかわり立ちかわり、石を高く積んだものほど手柄に見える。
 人の積んだ石の上へ、自分の石を積みそこねたものは、自分のあやまちのみならず、人の積んだ石を崩すの罰まで、二重に受けねばならぬことになっているらしい。
 そこで子供らは、いよいよ高く石を積んで、いよいよその手柄を現わそうとするが、積み得て喜ぶ後ろに、崩れて悲しむの時が待っている。
 積んでは崩し、崩しては積んで興がる子供たちは、与八の存在ということを忘れてしまっている。然《しか》れども、この男にあっては、遊ぶことと、遊ばせることとが同一で、子供らがわれを道具にして遊ぶ間は、その楽しみを妨げないことが、また自分の遊びであるらしく思われるのであります。
 ことに、与八はこの「河原の石」という遊びを妨げないために、子供らに向って、自分の義務というものの存することを悟っているらしい。
 それは、以前、子供らが「穴一」という遊びを盛んに流行《はや》らせている時分に、与八がそれをやめさせて、身を以て彼等の遊び道具に提供し、この「河原の石」を始めさせたという履歴を持っているものですから、ここへ子供を導いて、かりそめにも一重組んでは父のため、二重組んでは母のため……という言葉が、子供たちの口から唄われるということを悪くは思えないのです。
 そのうちに、与八が一つクシャミをしました。クシャミをしたことによって、頭の石が落ちると、はじめて与八が生きていたということを、子供たちが悟ったもののようです。
「あ、与八さん、動いちゃいけないよ」
と言ったけれども、生きているものを、いつまでも動かせないでおくということは無理である、圧制である、ということが、さすがに子供らにも気兼ねをさせたと見えて、
「与八さん、窮屈だろう、もう少し辛抱しておいで、ね……」
 しおらしくも、慰めの言葉を以て、その労をねぎらおうとする者もある。
 見物人は――見物のうちの大人です――皆、その事の体《てい》を見て失笑しないものはないが、なかには見兼ねて、
「みんな、いいかげんにしな、与八さんだって苦しいよ」
 そこで、この恬然子《てんぜんし》は解放されることになりました。
 その時分、ちょうど、河原で花火が揚り出したものですから、子供らは、与八の周囲に積んだ石を取払い、今まで下積みにしたお礼心でもあるまいが、大勢して、与八を胴上げにして河原まで連れて行って上げようと言い出し、与八の身体《からだ》につかまって、それを持ち上げようとしたけれど、彼等の力では、どうしても与八を担《かつ》ぎ上げることが不可能だとあきらめたものと見え、ワッショワッショと与八のずうたいを後ろから、ひた押しに押して、河原の方へ押し出して行きました。
 子供らのなすがままにまかせて、自分から河原へ押し出して行く与八。渡し場のところへ来て、土俵に腰をかけていると、
「与八さん、これを上げるから、お食べ」
 五十か百もらって来たお小遣《こづかい》のうちから団子を買い、その二串を分けて与八の前に捧げた子供がありました。
 それを見ると、ほかの子供が負けない気になって、物売店へ行って、三角に切って、煮しめて、串にさしたこんにゃく[#「こんにゃく」に傍点]を買って来て、与八の前へ持ち出し、
「与八さん、これをお食べ……」
 自分が一本食いつつ、一本を与八にわかとうというのであります。
 そうすると、ある者は氷砂糖を買って来て、それを蕗《ふき》の葉に並べて与八に供養し、ある者は紙に包んだ赤飯をふところから取り出して、
「与八さん、お食べ……」
 子供たちは与八の膝の上と、あたりの石の上と、土俵の上に、そのおのおのの供養の品を並べ立てました。与八は、実に有難迷惑そうな顔をして、これはこれはと言ったなり、どれに手を下していいかわかりません。そうすると一人の子供が、お団子の一串を目よりも高く差し上げ、
「与八さん、遠慮しないでお食べ、わたしが一番先に上げたんだから、あたしのあげたお団子から先にお食べ……」
とすすめると、一人が、
「どれから先に食べたっていいじゃないか、ねえ、与八さん、与八さんの好きなのから先にお食べ、お団子でも、てんぷらでも、お赤飯《こわ》でも、かまわないから、遠慮しないでたくさんお食べ……」
 与八も、この御馳走には痛み入ったようです。
「どれでもいいから、与八さんの好きなのから先に食べさせることにしようじゃねえか」
と、一人が言います。
「そりゃそうさ、先に出したから、先に食べなくってはならねえときまったわけじゃねえ、与八さん、お前の好きなのから先にお食べ……」
 本人の趣味を無視して、御馳走を食べることの前後にまで干渉するのはよくない、と主張する者もあります。
 よんどころなく、与八は串にさしたお団子を取って食べました。
「そうら見ろ、おいらの出したのから先に食べた。与八さん、うまいだろう」
「うん」
「そうら見ろ、うんと言った。うまけりゃ遠慮なしに、モットお食べ……」
 子供たちは、なけなしの小遣《こづかい》で買った団子のすべてを提供して、悔いないような有様です。
「与八さん、この鯣《するめ》も食べてごらんよ、お団子ばかり食べないでさ……」
「いけねえやい、今度は、おいらのあげたてんぷら[#「てんぷら」に傍点]を食うんだぞ、てんぷらを――」
「静かにしろよ、与八さんの好きなのから先に食べさせるんだといってるじゃねえか」
「与八さん、モットお団子をお食べ。まだ三串あるよ……」
「与八さん、お団子を食べてしまったら、あたいのお強飯《こわ》を食べて頂戴な……」
 ふところから、破れてハミ出した赤飯の紙包を持ち出したのは、五ツ六ツになるお河童《かっぱ》さんの女の子であります。
「いけねえやい」
 十二三の悪太郎が、無惨《むざん》にも、そのお河童さんを一喝《いっかつ》して、
「いけねえよ……おめえのお強飯《こわ》は食べ残しなんだろう、自分の食べ残しを、人に食べさせるなんてことがあるかい、人にあげるには、ちゃんとお初穂《はつほ》をあげるもんだよ、お初穂を――食べ残しを与八さんに食べさせようなんたって、そうはいかねえ……」
 悪太郎から一喝を食って、無惨にもお河童さんは泣き出しそうになると、同じ年頃の善太郎が、それをかばって言うことには、
「いいんだよ、与八さんは、残り物でもなんでも悪い
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