いのだか、間が抜けたのだか、わからないものですから一座があっけに取られ、やがてドッと笑い崩れました。たたかれた山案内のデコボコ頭がおかしかったからでしょう。
それについて……仏典にこんな話がある。印度に一人の馬鹿野郎があって、ある時、親爺《おやじ》の額《ひたい》へ蚊がとまったのを退治てやるつもりで、有合せた丸太ン棒を取り上げ、馬鹿野郎のこととて、力をこめて親爺の額にとまった蚊をなぐったものだから、親爺もろともにナグリ殺してしまった……この話で一座がまた笑い崩れました。
そこで、蚊の話が一座の話題の興味になると、例の一茶びいきの俳諧師が、
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蚊一つに施し兼ねしわが身かな
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これは一茶らしい主観があっていい。皮肉にも、慈悲にも、同様に取れるところが一茶の身上《しんじょう》である。
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閑人《ひまじん》や蚊が出た出たと触れ歩き
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も自然のウイットがあって面白い。たくまずして気の利《き》いた状景をとらえたところが眼に見るようである。それに比べると、蜀山人《しょくさんじん》が、松平定信の改革を諷して、
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世の中に蚊ほどうるさきものはなし
文武といひて夜も眠られず
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は、露骨にして、下品で、野卑だ。
松平楽翁ほどの名政治家の改革ぶりを、蚊にたとえて、御当人得意がっているところが、自身の薄っぺらな腸《はらわた》を見せつけているようでイヤだ、という者もありました。
その通り……いったい、今のやつらはそれよりも、もっと皮肉が下等で、諷刺《ふうし》が糠味噌《ぬかみそ》ほども利かない。蜀山人などは江戸ッ子がって、ワサビのように利かしたつもりだろうが、その利かせるつもりが、鼻についていけない。
本当の諷刺や、皮肉は、自然にして、温雅にして、同情があって、洞察があって、世間の酸《す》いも甘いもかみ分けて、それを面《かお》にも現わさず、痒《かゆ》いところへ手が届きながら掻《か》かず、そうしてその利《き》き目が、時間がたつほど深刻に、巧妙に現われて来るものだが……本当の諷刺家がいないのは、つまり本当の批評家がいないのだ、というような議論になって、蚊一つの問題から、炉辺が異常なる緊張を示したのも、時にとっての一興でありました。
この席に、いつも見るはずのお雪ちゃんだけがおりません。
十一
その翌日のお雪の手紙。
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「弁信さん――
昨晩は、夜通し怖《こわ》い夢ばかり見ました。
いま、起きたばかりの、ねまきのままで机に向い、きのうの手紙の続きを書かなければならないほど、切迫しているわたしの心持を、昂奮しきっているように、あなたは、想像なさるかも知れませんが、その実、わたしの胸はきのうよりはズッと冷静なのよ。
それは、昨晩、あまり怖ろしい夢に責めさいなまれ通したおかげで、この度胸が据《す》わったというのかも知れません。そうでなければ、わたしの、しおらしい娘心が、一夜のうちにすさ[#「すさ」に傍点]んでしまったのかも知れません。
昨晩の夢で……わたしは、さんざん姉さんにいじめられました。
姉というのは、あなたもよく御存じの、わたしがここへ来る前に、巣鴨の庚申塚《こうしんづか》で殺された、わたしにとっては大好きな親違いの姉であります。
その姉が、昨晩夢に現われて、さんざんわたしをいじめました。
わたしは、何とも言いわけをしませんでしたが、あの親切な姉が、どうしたものか、あんまりムキになって、わたしをいじめるものですから、わたしもツイ二言三言、何かいいました。そうすると、姉は泣きながら怨《うら》めしい顔をして、わたしに打ってかかるではありませんか。あんまりのことです……
そうして、ついには、身に覚えのない言いがかりまでして、わたしをいじめました。わたしも、そればっかりはだまっていられないので、口惜《くや》しがって泣きました。泣いて姉に食ってかかりました。
そうすると、あくまで、わたしをいじめ抜いていた姉が、急に飛び退いて、冷笑気味になって申しました、
『白々《しらじら》しいことをお言いでないよ、そのお腹《なか》をごらん』
こういわれて指さされた時に、わたしは泣き伏して、この顔を、姉の痛い眼つきから避けるよりほかはすべがありませんでした。
『姉さん、あんまり口惜しい……』
『いたずら者、油断もすきもなりゃしない、よくいったものだね、小娘と何とかは……覚えておいで、その報いがどこへ来るか覚えておいで、お前がもし、わたしのような運命に落ちても、わたしは知らないから……』
こういって、姉は泣き伏しているわたしを、意地悪くのぞき込むようにして、白い眼で睨《にら》みました。
常の姉とは似ず、あんまり薄情で、あんまり手強いから、わたしもツイツイつり込まれて、反抗の気味になりました。
『ようござんすよ……自分のした罪は、自分で背負いますから』
と、わたしも自暴《やけ》の気味でそう言いますと、姉は一層こわい目をして、
『生意気なことをお言いなさい、お前のような世間知らずに、どうして、自分のした罪が背負いきれます……』
『ようござんす、姉さんのお世話にはなりませんから』
『誰もお前の世話をして上げるとは言わないよ……立派に一人[#「一人」は底本では「一り」]でその始末をしてごらん』
『しますとも、わたしは、自分の知らないでした罪は、どこまでも自分で背負いきって、人様に御迷惑はかけませんから……』
『いたずら者……』
『いつ、わたしがいたずらを致しました、わたしは、誰かのように、夫を持ちながら、二人も、三人も、ほかの人を愛するようなことは致しませんから……』
『何をお言いだえ、お前、もう一度いってごらん』
姉はつかみかかるような勢いで、わたしに向って来ました。そうして、わたしの髪の毛を引据えて、さんざんに打ちました。
わたしは姉のするままにまかせて、少しも争わないで、ぶつだけぶたれておりましたが……どうしたのでしょう、そのぶたれるのが、何ともいえないいい心持でありました。
弁信さん――
それから、わたしはもういっそ、なにもかも許してしまおうかという気になりました。
姉が、あれほど手づよく、わたしを疑ったり、責めたりしなければ、わたしも、こんなに度胸を据えるようにはならなかったかも知れません。
妊娠なら妊娠でかまわない。身持になったら身持になったまでのことよ……こんなことを、平気で書いているわたしの顔は、悪魔が手を延ばして、何かの色に塗りつぶしているのかも知れません。
弁信さん――
わたしの処女性は失われました。
少なくとも、こんなことを平気で書いていられるほどに、わたしの娘心はすさびました。これが自暴《やけ》というものでしょうか知ら……自暴ならば自暴でかまいません。
もし、わたしのこの身持が本当のことでしたら、もう、わたしの行く道は、自暴《やけ》よりほかにないではありませんか。
その道がありましたら、弁信さん、教えて下さい。
昨日の手紙に、わたしは死んでしまいたいと書きましたが、今思い返してみると、死んでも死にきれません。
ああ、今もこのわたしのお腹のうちがうごめきます。気のせいでしょう、気のせいに違いありません。けれども、こうしているうちも、お腹の中で、何か動いているという不安が、一刻一刻に高まってゆく気持をどうすることもできません。
ああ、忌《いや》な、こうして、わたしは幾月かするうちに、人様に隠せないようになって、自分を穴の中にでも入れておかない限りは、見る人の噂《うわさ》の的となるに相違ありません。
白骨《しらほね》の湯は、人里離れて奥深いとは言いながら、やがて、わたしはここにも身を置くことはできなくなるでしょう。
『相手は誰だ』
例のつめたい声が、もうひしひしとわたしの背後にささやかれているような気がします。
『相手は誰だ』
実に、このささやきは、わたしの頭をクルクルとさせ、心臓をつらぬいてしまいます。
けれども何とか、このささやきに、わたしが返答しない限り、その疑惑は強く、高くなる一方で、ささやきは、やがて雷鳴のように強くなり、疑惑は海のように深くなるばかりです。
ですけれども、弁信さん、わたしには全く覚えがありませんのよ。
覚えのないことは、言われないじゃありませんか。
言われなければ言われないほど、人様は勝手な評判を作るでしょう。
ついに、わたしは相手の知れない父《てて》なし子《ご》を生んだ、手のつけられないみだらな女として、人の冷笑の中に葬られてしまわねばならないが、それよりも不幸なのは、この子が……わたしに子供なぞは有りゃしません、妊娠でないことは確かですけれども、もしかして、父なし子の運命を以て世に生れた子供……この子供の不幸に比べたら、わたしの不幸などは、言うに足らないものかも知れません。
そうなっては、死んでも死にきれないではありませんか。
どうしても、わたしは一人では死ねません。生きても二重の罪に生き、死ぬにも二重の罪を犯さなければ、死ぬことさえできません。
弁信さん――
何かよい方法はないでしょうか。
せめて一方だけ生き得られるか、また一方だけ死ねるか、その方法がありましたらお教え下さいまし……
ああ、わたしとしたことが、まあ何という愚痴を書きつらねたものでしょう。こんなことはみんな変ではありませんか。いつ、誰が、わたしの妊娠を見届けたものがありますか。自分でさえその証拠があげられないものを――いやなおかみさんのは、もとよりホンの冗談《じょうだん》であります。取越し苦労にも程のあったもの。
わたしは沼へでも遊びに行って、この気散じを致しましょう……」
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十二
炉辺の閑話に蚊話《かばなし》が持上った時、その最後に、楽翁公の寛政改革について大いに意気を揚げ、蜀山人《しょくさんじん》を罵《ののし》る者がありました。
楽翁公が大いに文武を奨励して、士風堕落をもり返そうと企てられたのを、「か」ほどうるさきものはなし、「ぶんぶ」といいて夜もねられず、とは何事だ。
徳川中興以後、松平楽翁だの、水野越前だの、問題ではあるが井伊掃部《いいかもん》だのという、名望と、手腕とを、備えた政治家が出でたればこそ、今日まで持ちこたえたのである。
政治家は、もとより民衆の友ではあるが、人間の下劣な雷同性におもねるような政治家は、世を毒すること、圧制家よりも甚《はなは》だしい。蜀山という男は、微禄ながら幕府の禄を食《は》む身分でありながら、一代の名政治家を蚊にたとえるとは言語道断である。あの堕落、阿諛《あゆ》、迎合、無気力を極めた田沼の時代でさえ、
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世に逢ふは道楽者におごりものころび芸者に山師運上
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となげいた市民には、まだ脈がある……
それから問題が一転して、この席へ、お雪の姿が見えないという不審がみな一致しました。
お雪は誰にも心安く、誰にも愛され、誰の話をも身を入れて聞きたがることにおいて、この一座には欠くべからざる人気を持っておりました。今晩に限って、その人が顔を見せないことだけでも、炉辺を非常な淋しいものにすると見えて、
「お雪さんは、どうしました?」
誰いうとなく、その叫び声が繰返されたけれど、いつまで経っても、その人が姿を見せません。
「お雪さん……?」
「どうしましたか、病気にでもなりゃしませんか?」
「いいえ……病気でもないようですが……」
「今朝から、あの人の姿が見えませんよ」
「いいえ……今朝早く、ねまきのまんまで無名沼《ななしぬま》の方へ出て行きました」
「え、あの子が一人で無名沼へ……ほんとうですか?」
早くも顔の色をかえたものがあります。あの出来事以来、無名の沼を、魔の池のように恐れている者がある。
「そうして、無事に帰りましたか?」
「え、帰るには帰ったでしょう、さきほど、部屋で手紙を書いているのを見たという者がありますから……」
「
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