とする時、廊下をバタバタと駈けて来て、兵馬の部屋の障子に手をかけたものですから、ハテ、仏頂寺が帰ったのか知ら、それにしては変な足音だ。
ハッと、眼がさめた。
では女中だろう――それにしても女中ならば、いくらなんでも、もう少ししとやかでなければならぬ。寝ついているお客の座敷へ来るには、一応の挨拶もあるべきものを、バタバタと駈けて来て障子へ手をかけると、早くもそれを引開けて、なんにもいわずに勢いよく闖入《ちんにゅう》したものですから、兵馬もこれは変だと思いました。
こういう場合においての兵馬は、金椎《キンツイ》と違う。
兵馬は、不具でない耳を持っていると共に、敵の動静に対しては極めて敏感なる武術の修養を持っている。
何者の闖入者《ちんにゅうしゃ》が、いかなる場合に来ても、よし熟睡中に来ても、うろたえないだけの心得はある。だから、おのれを守る意味においては、金椎あたりとは全然比較にならないのです。
ハッと眠りをさまして、半眼でもって、早くもその闖入者の動静を見て取ってしまいました。
ところが、この闖入者もまた、金椎の場合におけるものとは全く挙動も、性質も、違っている。
あの時のように、一応、外からのぞいて見たり、おとのうてみたりして、おもむろに闖入に取りかかるというのではなく、バタバタと駈けて来て、いきなり障子をあけて、一言もなしにズカズカと人の座敷へ入り込むのだから、かなり大胆なものです。
けれども、この大胆者は、兵馬を怖れしめないで、驚かせるには驚かせたが、むしろ唖然《あぜん》として、あきれ返るように、驚かせたのです。
この闖入者は、赤いひげのマドロス氏とは違って、艶《えん》になまめいた女でありました。
それは特にめざましいもので、男髷《おとこまげ》にゆって、はなやかな縮緬《ちりめん》の襦袢《じゅばん》をつけた手古舞姿《てこまいすがた》の芸者でありましたから、兵馬といえども、呆気《あっけ》に取られないわけにはゆきません。
ははあ、今夜はお祭で、手古舞が出て大騒ぎであった。だが、手古舞がここへ舞い込んで来るのは、どうしたことの間違いだ。
兵馬は寝たままで半眼を開いて、非常な驚異で、手古舞の挙動を注視していると知るや、知らずや、手古舞の無遠慮はいよいよ甚だしいもので、いきなり、火鉢のところへ来てべったりと坐ってしまい、右の手で火鉢の上の鉄瓶を取る
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