》の武者修行の先生が、意気揚々として、大手を振って通ると、例の姫の井のところで、ふいにでっくわしたのは、蛇《じゃ》の目の傘をさした、透きとおるほどの美人であったということですから、聞いていた雲衲《うんのう》も固唾《かたず》をのみました。
武者修行も、実は、そこで度胆《どぎも》を抜かれたということであります。
第一、前にもいった通りの青天白日の下に、蛇の目の傘をさして来るということが意表でありますのに、どこを見ても連れらしい者は一人もなく、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》として、六千尺の高原の萱戸《かやと》の中を、女が一人歩きして来るのですから、これは、山賊、猛獣、毒蛇の出現よりは、武者修行にとっては、意表外だったというのも聞えないではありません。
また、どうしても、細い萱戸の路で、摺《す》れちがわなければ通れません。
ところが右の蛇の目の美人は、あえて武者修行のために道を譲ろうともせずに、にっこりと笑って、自分を流し目に見たものですから、武者修行が再びゾッとしました。
こいつ、妖怪変化《ようかいへんげ》! と心得たものの、やにわに斬って捨てるのも、うろたえたようで大人げない。一番、正体を見届けて、その上で、という余裕から来る好奇《ものずき》も手伝ったと見えて、その武者修行が、
「どちらからおいでになりましたな」
と女に向ってものやわらかに尋ねてみたものです。そうすると女は、臆する色もなく、
「東山梨の八幡村から参りました」
ハキハキと答えたそうです。
「ははあ……そうして、どちらへおいでになりますか」
再び押返して尋ねると、女は、
「武州の沢井まで参ります」
「沢井へおいでなのですか」
武者修行は、わが刃《やいば》を以て、わが胸を刺されるような気持がしたそうです。
「はい」
女は非常に淋しい笑い方をして、じっと自分の懐ろを見入ったので、武者修行は、
「拙者もその沢井から出て参りましたが、あなたはその沢井の、どちらへお越しです」
三たび、その行方《ゆくえ》を尋ねました。
「沢井の、机竜之助の道場へ参ります」
「え?」
どうも一句毎に機先を制せられるようになって、武者修行は、しどろもどろの体《てい》となりましたが、
「あなたも、沢井の机の道場においでになりますのですか……実は拙者も、昨日あの道場から出て参りました」
「おや、あなたも沢井からおいでになっ
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