、どんな自分の罪でも、けがれでも、すっかり打明けて、恥かしいとも、悔《くや》しいとも思いませんが、あの神主さんの前では、まだどうしても、自分を開いて見せようという気になれませんでした。
そこで、口先をまぎらかすように、わたしは、神主さんの言葉尻について、
『けれども神主様、暗いところがあればこそ、明るいところもあるのじゃありませんか、夜があればこそ、昼もあり、悪があればこそ、善もあるのじゃありませんか……人はそう明るくばかり活《い》きられるものじゃありますまい、罪とけがれに生きているものにも、貴いところがあるのじゃありますまいか……』
と言いますと、神主さんは相変らずニコニコとして、こともなげにそれを打消して、
『そんなことがあるものですか、明るい心を以て見れば、この世界に暗いというところはありませんよ。善心から見れば、悪なんというものが存在する場所はありません。悪というのは、つまり人間に勢いをつけるために、それを征伐させるために、神様がこしらえた道具なのです。悪というものは、本来あるものじゃありません。なあに、貴いものが罪とけがれに生きられるものですか、罪とけがれの中にも、死なないのが貴いものですよ』
『ですけれども神主様……この世には、悪いと知りつつ、それを楽しみたくなり、怖ろしいと思いながら、それを慕わしくなって行くような心持をどうしたものでしょう』
『それそれ、それが闇の物好きだ、すべての罪は物好きから始まる……お前さんにゃ今、おはらいをして上げる』
といって、神主様は大きな御幣《ごへい》を取って、わたしの頭上をはらって下さいました。
そうして、わたしはこの鐙小屋《あぶみごや》を出た時に、明暗二つの世界の中に、浮いたり沈んだりするような心持でありました。
その夜の夢に、あのイヤなおばさんが現われて、さげすむように、わたしの顔を見て笑い、
『何をクヨクヨしているの、お雪ちゃん……もしねんねが生れたら、大切に育ててお上げなさいな、それがイヤなら、おろしておしまい、間引いておしまい、殺しておしまい』
ああ、弁信さん――
この次に、わたしが、あなたに手紙を書く時、わたしの心持が、どんなに変るかわかりますか」
[#ここで字下げ終わり]
十四
駒井甚三郎と、田山白雲とは、房州南端の海岸を歩いている。
駒井は、軽快な洋装をして手に鞭《むち》を持
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