ないし、そば粉か何かを、毎日少しずつ食べているだけだそうです。
この神主様は毎朝、お光を仰ぐために、乗鞍ヶ岳の頂上の、朝日権現様まで、人の知らないうちに登り、人の知らないうちに帰って参ります。
足の達者な人でも、日帰りにはむつかしい山路を、この神主さんは、ほんの数えるだけの時間で、往ったり来たりしていますのが、とても真似《まね》ができないといって、山の案内者たちも、舌をまいているのでございます。
『お嬢さん、あなた、陽気にならなきゃいけません。陽気になるには、お光を受けなきゃなりません。お光を受けて、身のうちをはらい清めなきゃなりません。人は毎日毎朝、座敷を掃除することだけは忘れませんが、自分の心を、掃除することを忘れているからいけません。自分の心を明るい方へ、明るい方へと向けて、はらい清めてさえ行けば、人間は病というものもなく、迷いというものもなく、悩みというものもないのです。ですから、何でも明るい方へ向いて、明るいものを拝みなさい。一つ間違って暗い方へ向いたら、もういけませんよ。暗いところにはカビが生えます、魔物が住込みます、そうして、いよいよ暗い方へ、暗い方へと引いて行きます。暗いところには、いよいよ多くの魔物の同類が住んでいて、暗いところの楽しみを見せつけるものだから、ついに人間が光を厭《いと》うて、闇を好むようなことになってしまうと、もう取返しがつきませんよ……早いたとえが、この間のあの二人をごらんなさい、あの年とった、いやにいろけづいたお婆さんと、それにくっつききりの若い男とをごらんなさい、あれがいい証拠ですよ。あれが明るいところから、わざわざ暗いところへ、暗いところへと択《よ》って歩いて、その腐りきった楽しみにふけったものだから、つい、あんなことになってしまいました。外の空気のさえ渡って、日の光がたまらないほど愉快な小春日和《こはるびより》にも、あの二人は、拙者がいないと、この小屋の中へはいり、小屋をしめきっては、暗いところでふざけきっていました。だから、わたしは山から帰る早々、それを見つけると、戸をあけ払って、二人をはらい出したものです。二人は、拙者の振り廻す御幣《ごへい》をまぶしがって、恐れちぢんで逃げ出したが、逃げ出して暫くたつと、またあの森かげへ隠れて、くっつき合っていましたよ。とても度し難いというのはあれらでしょう、放って置いてもいいかげんす
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