い、私だって……」
「私だって、どうしたの」
 浅吉がギュウギュウ問い詰められている時に、小屋の裏戸が鳴りました。
 裏口の戸をガタピシとあけて、そこへ現われたのは、狩衣《かりぎぬ》をつけて、藁《わら》はばき[#「はばき」に傍点]、藁靴を履《は》いた、五十ばかりの神主体《かんぬしてい》の男。金剛杖を柱に立てかけて、
「これはこれは」
 おのれが留守中の来客を見て、挨拶の代りに、これはこれはといって、
「は、は、は、は……」
とさも陽気に笑いました。
「お帰りなさいまし、お留守中に失礼を致しました」
 浅吉が申しわけをすると、
「なんの、なんの、そのままにしていらっしゃい。いやどうも、いいお天気で、は、は、は……」
と、いいお天気そのもののように、神主は明るく笑いました。
「あんまりいいお天気だものですから、こうしてブラブラと遊びに出かけました」
と後家さんがいうと、神主は、
「ああ、そうでしたかい、そうでしたかい、よくおいでたの。わしは昨晩、室堂《むろどう》へ泊りましての、御陽光を拝みましての、御分身がすっかり身にしみ渡りましたので、よろこんで下山を致して参りましたわい。さあさあ、もっと火をお焚きなされ、火をたいて陽気になされませ」
 こういって神主は藁靴、藁はばき[#「はばき」に傍点]をとって、炉辺に坐り込み、薪を炉の中にくべました。
「お山の上はずいぶん雪が深うございましたろう、よくおのぼりになりましたね」
「ええ、ええ、もう、積雪膝を没するばかりで、風でも吹いてごろうじろ、とても上り下りのできるものではございません、当分は室堂へお籠《こも》りのつもりで出かけましたが、今朝は御陽光がすっかり身にしみて、この通りの上天気だものですから、一気に室堂から下って参りましたわい」
「御修行でおいでなさればこそ、とても並みの人にはできません」
と後家さんが感心してお世辞をいうと、浅吉が、これに継ぎ足して、
「ほんとに、お羨《うらや》ましうございます、わたしなんぞは、こんな若いくせをしまして、火の傍ばっかり恋しがっているのに、この寒空を、あの高い山まで楽々と上り下りをなさるのは、恐れ入りました、御修行とはいいながら、大したものです」
「なんの、なんの……修行というほどのことではございません、誰にもできることですよ。高いお山の上へ登って御陽光を分けていただきますと、もうこの心持が嬉しくなって、世間が晴々しくなって、この足が自分ながら躍《おど》り立つように軽くなりましてな、山坂を上ることも、下ることも、寒さも風も苦にはなりませんわい。こうして小屋へ帰って、焚火の光を見ますと、火の光がまた、なんともいえない陽気なもので、嬉しくなります、は、は、は……」
 神主は嬉しくてたまらないように、しきりに喜んでいたが、ふと浅吉の顔を見て、
「若衆《わかいしゅ》さん、お前さん、また何か鬱《ふさ》ぎ込んでいますな、いけません、一人鬱いでいると、室内がみんな陰気になりますから、おやめなさい、人間、陰気ということがいちばんいけないのですて……人は陽気がゆるむと、陰気が強くなります。陰気というのは、つまりけがれのことで、けがれは、つまり気を枯らす気枯《けが》れということでござってな、お天道様の御陽光が消えると、けがれが起るのじゃ。お前さん、陰気だ、陰気だ、これはいけない、いけない、陽気にならっしゃい、ちと外へ出て御陽光を吸っておいでなさい……お前さんがいるために、この小屋の内までが変に陰気くさくなっていましたわい、ドリャお祓《はら》いをして進ぜよう」
と言って元気に老神主は立って、神棚の前の御幣を持って来て、
「朝日権現は万物の親神……その御陽光天地に遍満し、一切の万物、光明温暖のうちに養い養われ、はぐくみ育てらる……」
と言って、二人の頭の上で、しきりにその御幣を振りかざしました。
 この幣束《へいそく》で、お祓《はら》いをしてもらったのだか、祓い出されたのだか、二人はほどなく小屋の外へ出てしまいました。
「ごらん、お前があんまり陰気な顔をしているもんだから、あの神主様にまでばかにされてしまった」
といって、後家さんが浅吉をこづきました。浅吉はよろよろとして踏みとどまるところを、後ろから行って後家さんがまたこづきました。
「ホントに陽気におなりよ、意気地なし、陰気はけがれだと神主様も言ったじゃないか、お天道様の御陽光が消えると、けがれが起ると神主様がそうおっしゃったよ、ホントにお前はけがれだよ」
「だって、お内儀さん……」
 恨めしそうに後ろを向きながら、浅吉がまたよろよろとよろけて踏みとどまると、
「お前がいると陰気くさくっていけないって、体《てい》よく追っ払われたんじゃないか、外聞が悪い」
といって後家さんが三たびこづくと、浅吉がまたよろけました。
「意気
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