進めてしまいました。
兵馬は計らずして、敵《かたき》の行方《ゆくえ》に一縷《いちる》の光明を認めたと共に、思い設けぬ富有の身となりました。附託されたかなりの大金は、いやでも自分が保管するのが義務のようになっている。この奇怪にしてしかも鷹揚《おうよう》なお嬢様は、今後必要に応じて、いくらでも兵馬のために、支出することを辞せない様子を見せている。
あてどもない山奥に、半ば自暴《やけ》の身を埋めに行こうと決心した兵馬は、ここにゆくり[#「ゆくり」に傍点]なく、幸運の神に見舞われたようなもので、暫く茫然《ぼうぜん》と夢みる心地でいましたが、若いだけに早くも心に勇みが出て、踏みしめる足許もなんとなく浮き立つように感じ、ほとんどこの何年来にもなかったよろこび[#「よろこび」に傍点]に、心が跳《おど》るのであります。
そうかといって、この世に代価を払わない幸運というものは一つもない。兵馬にこの幸運を与えた祝福の神は、人の子を取って食う鬼子母《きしも》の神であってみれば、早晩何かの代価を要求せられずしては済むまいと想われる。
六
駒井甚三郎は、房州の洲崎《すのさき》に帰るべく、木更津船《きさらづぶね》に乗込みました。
その昔お角が、清澄の茂太郎を買込みに行く時に乗込んで、大難に遭《あ》ったのとおなじ航路で、おなじ性質の乗合船。
なるべく人目に立たないように、駒井は帆柱のうしろ、荷物の隅に隠れていました。
乗合の客は、例のとおなじように、士分階級をのぞいた農工商のものと、今日は、それ以外の遊民が少なからず乗合わせている。
遊民というのは、玄冶店《げんやだな》の芝居に出てくるような種類の人。赤間の源左衛門もいれば、切られない[#「ない」に傍点]の与三《よさ》もいる。お富を一段上へ行ったようなお角がいないのが物足りない。
しかし、きょうは、天気も申し分なく、近き将来の時間において、思い設けぬ天候の異変もこれあるまじく、たとえ、お角が乗合わせていたからとて、人身御供《ひとみごくう》に上げられる心配もまずありそうなことはなく――そうそうあられてはたまらない――それで江戸湾内を立ち出でる木更津船の形は、広重《ひろしげ》に描かせて版画にしておきたいほど、のどかなものです。
隠れているといっても、なにしろ限りある木更津船の甲板の上で、書物を開いている駒井甚
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